じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 東京都心(写真上)とモニュメントバレー(写真下)の日の出の類似性。上京中に宿泊したホテルの部屋は東向きになっており、高層ビルの間から日の出を眺めることができた。高層ビルの配置は、少し前に訪れたモニュメントバレーに似ているように見えた。

 なお、運転中のため撮影はできなかったが、土曜日の夕刻に皇居周辺を移動中、高層ビルのガラスに反射する夕日のが創り出す美しい光景を眺めることができた。


9月27日(日)

【ちょっと思ったこと】

都心の道路は巨大な迷路

 東名・伊勢湾岸・新名神・名神・中国・山陽道を通って、東京から岡山まで無事車で戻ってきたところである。日曜日は高速道路上限1000円の休日特別割引適用日であったが、この区間では特に混雑もなく、朝8時すぎに出発して17時すぎには岡山市内に戻ることができた。高速道路料金は、3250円(大都市近郊区間の別料金を含む)。

 上京中、都心方面を何度か車で通行したが、カーナビを搭載しておらず、日頃は地下鉄やバスで利用するだけで道路事情に疎いこともあって、何度も道に迷った。

 ちなみに、今回は、こまばエミナースというホテルに宿泊したが、このホテルに面している淡島通りは若林折返所行きのバスが走っていて、世田谷区・若林育ちの私にとっては、生まれた頃からのなじみ深い道路であった。しかし、恵比寿や目黒方面からこの道路に向かう時には、途中に何度か迷いやすい交差点、車線変更箇所があり、しかも、夕刻の渋滞時には、間違えたと気づいても簡単には車線変更ができない。

 けっきょく1日目は、三宿のあたりをウロウロしたあと、やっとのことで淡島通りに出たと思ったが、右折するべきところを左折してしまい、「グランドヒルズ三軒茶屋」の目の前に来てしまった。ここはかつて国立世田谷病院(のちに国立小児病院)の跡地であり、なっなんと、私の生まれた病院の跡地であった。都会の迷路のような道路を右往左往したあげくにたどり着いたところが、なんと自分の生まれた場所であったとはまことに感慨深い。

 2日目も、中目黒から淡島通り方面を目ざすものの、途中で間違えて、なんと青山学院の脇に出てしまった。いつのまにか山手線を超えて、北西ではなく北東方向に走っていたのである。これも驚きであった。途中、西郷山公園の横を通過したが、そういう名前の公園があるとは全く知らなかった。

 日本各地には有料の巨大迷路施設があるが、カーナビ無し、地図無しで、目黒・世田谷地域をドライブするのは、娯楽施設以上の困難度と意外性があるものだ。世田谷生まれの私にとっては、馴染みの地名が点在している分、まことに感慨深いものがある。交通安全上、また地球温暖化防止の視点から、不用なドライブは避けるべきであるとは思うけれど。