じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 朝日を浴びるサツマイモ畑。

 各種報道によれば、気象庁は9月1日、今年の梅雨の期間を確定した。東北では「梅雨明け宣言」を断念していたが、当初8月4日に梅雨明けとしていた北陸と中国地方も新たに「時期を特定しない」と修正したという。

 もっとも、岡山市に限っては、こちらの統計にあるように8月14日〜31日までの間では0.5ミリ以上の雨は記録されておらず日照時間10時間以上の日も6回を数えており、完全な梅雨明けモードであった。雨が降らないため、一年草のコスモスの立ち枯れが目立ち始めている。


9月1日(火)

【思ったこと】
_90901(火)日本心理学会第73回大会(7)「時間」と「空間」のなかで自己の変化を捉える(3)時間論の視点


S011 「時間」と「空間」のなかで自己の変化を捉える

というシンポジウムの感想とメモの最終回。

 4番目は、白井利明氏による、

●人生はどのように立ち上がるのか−時間論の視点から−

という話題提供であった。

 話題提供ではまず、自己の連続性というのは作り出されるものであること、つまり「自己は固定した一貫したパーソナリティをもつ存在ではなく、時間経過のなかで変化していく存在である」ということが強調された。にもかかわらず我々は、なぜ「変化する自分」を同じ人間であると受けとめるのであろうか。白井氏はこのことについて、Pasupathiの論文を引用しながら「自己と出来事との関連づけ」、すなわち、「語られた出来事と自分自身との結びつきを特性、特徴、興味といった同じタイプで引き出す語り」がアイデンティティをもたらしていると主張された【Pasupathi,Mansour & Brubaker, 2007, Humam Development誌】。なお、白井氏は、「人生の8割は偶然」という言葉も引用しておられたが、どなたの言葉であったか失念してしまった。ネットで検索した限りでは「計画的偶発性理論」のクランボルツ教授が似たような主張をされているようであるが、そのことだったかどうか確証はない。

 白井氏のもう1つの重要な論点は「回顧だけでなく予期も重視する」ことにある。Pasupathiは、回顧を重視して自己の連続性をとらえようとしたが、これだけでは事後的な説明に終わってしまう、必要なことは、前方視的(prospective)な見方である。これは、過去→現在→未来という直線的な流れで捉えようとする単純なものではない。ナラティブというのは、単なる過去の物語ではなくて、予期されるものと予期されないものとの緊張の中に生まれる(森岡,2008,金剛出版)というのである。確かに、我々は、単に懐かしさを求めるために回顧をするわけではないし、また常に予期をしながら行動していく。「予期せぬ出来事と予期どおりの出来事が生起することで、回顧や展望が立ち上がり、その都度、連続性が作られていく」という御主張はまことにもっともであると思う。なお、展望に関わる前向型研究については、『TEMではじめる質的研究』の本や、大会1日目の別のワークショップでも論じられていたが、ここでいう前方視的な見方が同じ意味で使われているのかどうかは確認できていない。※8月26日の日記参照)。

 私自身もまさにそうだが、年を取っていくと、自分自身についての最終的な予期は「やがて死ぬ」に収束してしまう。しかし、ここで論じられている予期はそんなに悲壮なものではない。加齢の中でも、非可逆的な時間の流れと焦り(人生の残り時間の自覚)について、まず予期があり、そして予期があるがゆえに予期せぬ出来事が生まれ、その予期せぬ出来事との出会いによって回顧と展望が立ち上がり、そのことによって自己の連続性が作られるというお考えであると理解した。

 以上の部分について私自身の考えを述べさせていただくと、まず、「予期せぬ出来事」という考え方は、学習心理学の中でも重視されることがある。但し、「予期」という概念は必ずしも説明概念として必要ではない場合もある。バーを押して餌を獲得していたネズミにとって、ある時点から餌が出なくなるということがあればこれは「予期せぬ出来事」であるに違いない。その時にはたいがい「バースト」が生じる。しかし、激しい「バースト」がどういう状況のもとで生じるかということを説明するためには、「ネズミはバーを押せば餌が出ることを予期していた」という前提は必ずしも必要ではない。

 シンポの最後には森直久氏による指定討論があった。1日目のワークショップの時にも感じたが、森氏の指定討論はツッコミが鋭く、まことに意義深い。今回の指定討論では「人が変わるとはどういうこと(出来事)なのだろうか。「よい方に」も「悪い方」にも。」、さらには、「we-positionが共同体を形成する。」といったご議論が印象に残った。これを機会に『TEMで始める質的研究』をちゃんと読んでおくことにしたい。

 余談だが、大会初日の特別講演の終わりのところで、アグネス・チャン氏は、日本には良い言葉がありますと言って「無我夢中」を挙げられた。今回の話題提供者や指定討論者各位が、この「無我夢中」をどう考えておられるのかちょっと訊いてみたい気がした。




 8月26日の日記にも述べたように、9月2日以降に海外に出かける予定があり、戻ってからは膨大な仕事を抱えることになりそうなので、今年度の日本心理学会参加記録は、これをもって最終回とさせていただく。これ以外に拝聴したシンポ、ワークショップ、小講演についての感想は、いずれ別の話題と関連づけながらコメントさせていただこうと思っている。