じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 農学部構内で見かけたアヒルとヤギ。

 このうち、アヒルについては、2009年4月15日の日記でも取り上げたことがある。当初、アイガモ農法からの連想でアイガモのヒナであると思っていたが、あれから2ヶ月ちかくたって丸々太った様子は、どうみてもアイガモではなくアヒルであったことが判明した。なお、ネットで「アヒル農法」を検索したところ、こちらにアヒル農法の紹介があった。但し、今回は水田ではなく、麦畑で飼育され、麦の刈り取り際に、洋梨の木の下に飼育場が移設されている模様である。

 またヤギについては、今年の2月16日の日記や、ヤギは笑うことがあるという写真を掲載したことがある。



6月12日(金)

【思ったこと】
_80612(金)[心理]ゴミの不法投棄はなぜ起こるか(5)


 昨日の続き。
  • 不法投棄をする人と、しない人がいるのはなぜか
    というのは個体差の問題である。まずは、「不法投棄をする人」と「しない人」というように、行動の有無において二分される。さらには、同じ「する人」の中でも違いがあるし、「しない人」においても「しない原因」はマチマチであろうと推測される。しかし、行動分析学の考えに基づくならば、する人、しない人いずれの場合においても、不法投棄という行動を強化する要因と弱化する要因が混在しており、強化する要因のほうが優勢であれば「不法投棄する」という行動が起こりやすくなり、弱化する要因が優勢であれば、不法投棄をしないという状況が持続するものと考えられる。個体差というのは結局、それぞれの人における、強化因と弱化因の種類と強さの違いによって説明できるのではないだろうか。

     このうち、不法投棄の強化因のほうは、直後強化的であり、万人に共通しているところがあるように思われる。つまり我々は、不要なモノ、汚れたモノ、邪魔なモノ、腐って悪臭を放つようなモノは、少しでも早く、自分の外の空間に追いやりたいという行動をとるものである。これらのモノは、我々が接触を最小にしたいと望むものであるであり、「嫌子(ケンシ)」の定義そのものである。いち早くごみを捨てれば、その直後に嫌子は消失する。すなわち、不法投棄は嫌子消失の随伴性によって直後強化されやすい特徴を持っている。

     しかしだからといって、ところかまわずごみをまき散らす人は滅多に居ない。これは、不法投棄という行動が、法律や道徳や環境配慮原則などによって弱化されているからである。いかに不法投棄に利便性があったとしても、弱化の力のほうが優勢であれば不法投棄は起こらない。逆に言えば、不法投棄をする人というのは、その行動が十分には弱化されていない人たちのことである。

     不法投棄の弱化には、直接効果的なものと間接効果的なものがある。町内に監視員たちを巡回させ、不法投棄の現場をおさえて直ちに罰を与えるというものである。一部の自治体で実施している歩行喫煙の監視や、台湾で行われているという「不法投棄現場をビデオ撮影して通報すると報奨金がもらえる」というような監視制度が直接効果的に弱化する有効な手段と言える。直接効果的な随伴性が存在すれば、それをタクトしたルール支配も有効に働くであろう。

     これに対して、「不法投棄は環境に負荷がかかる悪い行動だ」というような結果は、行動の直後に直ちに随伴するものではないので行動を弱化する力を持ちにくい。しかし、それが、1つの道徳体系、環境配慮原則、宗教の戒律などに組み込まれればそれだけ有効性を発揮することになる。

     余談だが、2006年4月20日の日記で、エジプトのゴミ問題を取り上げた時に、現地事情に詳しい方から「ゴミを路上などに捨てるのも、石油系のものを捨てるのも、法律で駄目だとは決まっていないようです。エジプトの法律はコーランの上に成り立っているので…。もし、法律で決まっていても、たいした問題ではないのだと思います。コーランで書かれていないことは、教徒もあまり気にしていないようですし。」というコメントをいただいたことがあった。確かに、ゴミ問題というのは、持続可能な循環型消費から外れた石油系製品が大量に生産されるようになって重大問題化してきたところがある。


     次回に続く。