じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で福居バス停付近のごみステーションの話題を取り上げたが、収集日の翌日28日は、ごみ1つないスッキリした朝を迎えた。このステーションでは、収集日の夜から生ゴミを出す不心得者が後を絶たなかった。指定曜日、分別、指定袋使用が今後も守られていくかどうか、引き続き定点観察を続けたいと思っている。

 なお、写真下に示すように、このステーションの掲示には若干気になるところがある。
  • 当初赤字で書かれていたと思われる語句が褪色して読み取れなくなっている。左の看板は「○○はごみを出さないでください」、右の看板は「○○の不法投棄は○○されます」となっていて、空所に語をあてはめるというクイズ問題化してしまっている。
  • 不法投棄の通報先が岡山南警察署となっている理由もよく分からない。可燃ごみ処理施設が南警察所管内にあるためだろうか(福居入口バス停付近は岡山市北区であり、岡山西警察署管内になっている)。




5月28日(木)

【ちょっと思ったこと】

冬のソナタ第10話

 NHKのあなたが選ぶBS20歳の名作集で2万375票、堂々第一位に選ばれた「冬のソナタ」の第10話・完全版が5月28日(木)21:00から放送された模様である。残念ながら我が家にはBS受信設備がなく視ることはできなかったが、完全版ということであれば、私の手元には「韓国盤・英語字幕」のDVDセットがあり、リージョンコード3に設定した中古のノートパソコン(←OSはWindows Meであるが、DVDの再生に限れば遅すぎることはない)を介していつでも観賞することができる。

 冬のソナタについては3年ほど前に、冬のソナタを考えるという連載を展開したことがあるが、第4話までの感想と、第19話以降のシナリオを書き換える試みにチャレンジした程度で更新が途絶えてしまっている(各種の海外旅行写真アルバムサイトもそうだが、私のWeb日記は、「常に更新中」がモットーであって、完結することは希有である)。

 今回の再放送では「名セリフ、名シーンが多く人気の高い第10話を完全版で放送します。」ということであったが、第10話が特に選ばれたのは私にとっては意外であった。そもそも第10話がどういうストーリーであったのか直ちには思い出せなかったし、特段の名セリフや名シーンも浮かばない。

 ネットで検索したところこちらのサイトに各話のあらすじが紹介されており、改めて思い出してみたが、第10話というのは、第9話でサンヒョクがスキー場で家族や友人達を前にユジンとの婚約を勝手に発表したのに対して、ユジンがそれを拒否して外に飛び出し、ミニョンの車でミニョンの別荘に連れて行き、そこで偶然ミニョンの母親に出会うというシーンから始まるということが確認できた。その後、サンヒョクは廃人同然になってしまい、ユジンは動揺していく。そのいっぽう、ミニョンがじつはチュンサンであったということが各所の伏線とともに次第に明らかになるという回であった。

 率直に言うと、私自身は第10話はあまり好きではないし、何度も繰り返して視たいという気持ちにはなれない。私が好きなのは第5話から6話のあたりと、第14話、さらに最終話のラストシーンのあたりで、実はそれ以外の部分は数回ずつしか視ていない。

 「冬ソナ」は、純愛ドラマの代表作品であるかのように言われることがあるが、登場人物の中で一途の愛を貫いたのはむしろ、サンヒョクやチェリンであって、ユジン自身は、チュンサンを好きになったり、サンヒョクと婚約しようとしたり、その婚約披露パーティをすっぽかしたり、チュンサンではないミニョンを好きになってみたりというように、けっこう自分勝手で移り気なところがあった。それが一番鮮明に出ていたのが第10話の前後であったと思う。

 「冬ソナ」はハッピーエンドのドラマだとされているが、ある意味では、サンヒョクという男の失恋物語であり悲劇であったとも言える。それにも関わらず多くの視聴者が感動し「純愛」であると錯覚してしまうのは、「恋愛は自分中心であっても構わない」という暗黙の前提があるからだろう。いや、実際のところ、相手本位の恋愛など存在しない。サンヒョクがユジンと結婚できなかったのは、サンヒョクにはユジンの心をとらえるだけの魅力が無かったからにすぎず、そのことを責めてもしようがないし、哀れんだところで何も解決しない。恋愛というのはそういうものなのだ。

 「冬ソナ」のストーリー展開にはかなり不自然な部分もある。であればこそ、各話にモザイク状にちりばめられた「名セリフ」や「名シーン」を自由に組み合わせて、視る側自身の体験に関連づけてみたり、疑似恋愛を体験することができる。このことが多くの人に感動を与えたのではないかと思う。

 いま考えると、あのドラマは、サンヒョクとの三角関係とか、異母兄妹といった部分に障壁を設けるのではなく、チュンサンとミニョンという「多重人格」とユジンとの三角関係として描いたほうが面白かったのではないかと思ってみたりする。つまり、10年後にミニョンに出会ったユジンが、当初はチュンサンへの想いを捨てきれずに過去に執着し続けるが、そののちミニョンを好きになる、そして何かの事故でチュンサンの記憶が蘇った時に、チュンサンという人格を保ち続けようとするのか、何らかの治療によってチュンサンの人格を消滅させてミニョンを復活させるのかというような展開である。残念ながら私には文才がなく、そのようなシナリオを書くことができない。