じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2日間にわたって行われた卒論試問が無事終了した。写真は、試問を無事通過して晴れやかな笑顔見せる卒論生たち(個人情報保護のため、人物部分はボカしてあります)。


02月18日(水)

【思ったこと】
_90218(水)[心理]広がるか 認知症“本人が決めるケア”

 夕食時にテレビのスイッチを入れたところ、NHKクローズアップ現代で、「広がるか 認知症“本人が決めるケア”」という話題を取り上げていた。

 番組紹介サイトには、「先進地オーストラリアでは、認知症の本人が症状の詳しい説明を受け、できる範囲で治療や介護方針の決定にも参加できる体制が整いつつある。」と記されていたが、私がスイッチを入れた時はすでにその部分は終わっており、残念ながらどういう内容が紹介されたのかは分からなかった。

 もっとも、オーストラリアの認知症ケアと言えばダイバージョナルセラピーの御本家であり、日本ダイバージョナルセラピー協会の活動の中でもその内容が繰り返し紹介されている。「本人中心ケア」が基本的な柱となることは言うまでもない。ちなみに、この協会の役員はこちらの通りとなっており、資格商法などの怪しい団体では決して無い。

 番組紹介サイトにも記されているように、本人中心ケアは、「本人の意志を最優先して医療や介護を進める」ことを第一としている。そのためには、スタッフ側の体制を整備することももちろんであるが、より根本的には、「本人の意志を最優先」という時の「意志」、つまり、御本人の主体性・能動性を保証するとはどういうことなのかを根本から問い直す必要がある。例えば、御本人が「やりたい」と言えばそれを取り入れ、「あまりやりたくない」と言えばそのプログラムを外してしまえばそれで尊重したことになるのかという問題がある。私自身が担当させていただいている養成講座の中でも繰り返し強調していることであるが、「やりたい」とか「やりたくない」というのは、かなりの程度、その行動がどれだけ強化されているのかに依存している。

 例えば「以前はオセロゲームが好きだったが、最近は興味を失っている」というのは一見、御本人の意志、関心、意欲が変化したように捉えられがちであるが、実際には、オセロゲームの対戦相手が居なくなったり(強化機会の消失)、認知機能の衰えによりゼンゼン勝てなくなった(=弱化あるいは消去)というところに本当の原因がある。適切な対戦相手を見つけたり(場合によってはパソコンゲームでも可能)、ハンディを設定(例えば四隅に石を置く)したりすれば、引き続きゲームを楽しむことができる。

 ピアノの演奏の場合も同様であって、以前と同じようにはピアノを弾くことはできなったとしても、自動演奏機能を併用して、メロディに合わせて一部の鍵盤だけを自力で弾くということは可能であり、そうすれば、単にCDでピアノ曲を聴くよりも能動的な行動の機会が保障できる。

 さらに重要なことは、「本人の意志」を断片的に満たすのではなく、より全人的、長期的な視点にたって、できる限り統合的に持続できるようサポートしていくことである。このことについてはまた、個人本位での「事前調査→計画→実施→事後評価」のプロセスをしっかりと遂行していくことが大切である。

 今回、NHKクローズアップ現代で紹介されたことで、オーストラリアの認知症ケアへの関心が高まり、またそのつながりの中でダイバージョナルセラピーの考え方が広く知られるようになることを期待したい。