じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 北を通った低気圧の影響で12月22日の岡山は、前日午後9時〜当日午前9時の間の最低気温が8.3℃と、比較的暖かい朝となった。写真は、岡大構内・座主川沿いの風景。ケヤキなどの落葉樹は殆ど葉を落とし、明るい日射しを浴びたサザンカの花が目立つようになった。なお、気温のほうはその後しだいに下がり、24時には3.5℃となった。

※22日の関東地方は、午前中に暖気が残っており、東京都・東京の22日の最低気温(前日午後9時〜当日午前9時の間の最低気温)は、なっなんと17.9℃。但し午前10時台に19℃以上であった気温はその後ぐんぐん下がり、20時には4.3℃を記録した。また、横浜市では22日の最高気温は20.3℃を記録したものの24時には4.8℃まで下がった。


12月22日(月)

【思ったこと】
_81222(月)[心理]日本園芸療法学会第1回大会(8)中村桂子氏の基調講演(2)「名詞よりも動詞」という議論

 12月20日の日記の続き。

 まず、前回取り上げた「動詞で考える生活世界」という話題についての補足。中村氏の「ちょっと一言」では、「動詞にすることで、物事をていねいに扱うことができるのではないか」というようなお考えが表明されていたが、ここで少々脱線して、「名詞よりも動詞」ということに私自身の過去日記の記述を振り返ってみたい。

 このうち、2005年9月3日の日記では、大学教育に関連して、「具体的な事象との関わりを動詞で学ぶ」という考え方に言及したことがあった。
名詞ではなく動詞で考える教育をするということも大切。例えば、「椅子」について理解するためには、椅子にまつわる動詞、おそらく「座る」、「(高い所の物を取るために)立つ」、「(インテリアとして)飾る」、「(通行止めの印として)ふさぐ」などを幅広く考えることで創造性が身に付く。なおこの「動詞で考える」ということについては、神田駿氏の「日米学生比較-----創造性をめぐって」(『21世紀フォーラム』、46号、1992年12月)に関連記事があるという。このことでふと思ったが、英語を日本語に翻訳する時にはしばしば「動詞に直して訳せ」と言われる。もともと日本語のほうが述語表現が多様かつ繊細であるというのは、それだけ創造性豊かな言語であるという意味にもとれそう。
 この前半部分は、確か、寺崎昌男氏の基調講演に関するものであったと思ったが、日記の記述が不足しており、はっきりとは思い出せない。なお、後半部分の「英語を日本語に翻訳する時は動詞に直して訳せ」というのは、分かりやすい翻訳の基本。もともと日本語は、動詞を使ったほうが豊かな表現ができるような特徴を備えていると言ってよいだろう。

 それより前の2002年、2002年12月刊行の紀要論文で、岩谷宏、松井力也、金谷武洋氏ほかの著作を引用して、「英語が使える日本人」の諸問題を取り上げたことがあった。その中では、、日本語というのは基本的に「モノではなくコト」を表すのに適した言語であること、また、動詞は、単純な自動詞と他動詞の二分ではなく、(1)受身/自発/可能/尊敬(2)自動詞(3)自or他動詞(4)他動詞(5)使役という5つを連続した態(ヴォイス)をなしていることなどを引用させていただいた。

 中村氏ご自身が挙げた「動詞で考える」には、「研究する」や「表現する」というような「漢語+する」型の動詞も含まれていたが()、これらを、「くわしくしらべ、ときあかす」、「とらえ、あらわし、つたえる」というようにヤマトコトバに置き換えれば、いっそう、動詞で考えることに繋がるのではないかと思う。
別のスライドでは、「愛づる」、「語る」、「観る」、「関わる」、「生る」、「続く」というようなヤマトコトバが使われていた。


 あと、中村氏の御講演、あるいはこちらの記事ではフッサールのことに触れられていたが、私はむしろ、東洋哲学の中に、生活世界こそ知の対象であるとする考え方が多く取り入れられているような気がしている。といって、勉強不足のため、具体的な思想家を挙げて論じることはできない、あくまで知ったかぶりにすぎない。

 余談だが、東洋と言えば、中村氏の講演の中では、源氏物語にも言及があった。中村氏によれば、源氏物語の中には金銀財宝のたぐいは全く出てこない。平安貴族にとっては、自然とのふれ合いがこそが至宝であったらしい。一例として、出家した女三宮の御殿の庭に、光源氏が鈴虫(←今のマツムシ)を予め放つように命じ、十五夜の夕暮れになってそこを訪れるという描写を挙げておられた。ちなみにこの様子は岡田元史氏のインターネットギャラリーに描写されている(Topはこちら)。中村氏はさらに『虫めづる姫君』の素晴らしさにも言及されていた。『虫めづる姫君』の話は、私自身にとっても大好きな物語ではある。但し、姫君の価値観が当時の平安貴族一般の自然観、生命観であったとは考えにくい。「変人」であったからこそ物語として読み継がれてきたのではないだどうか。

 次回に続く。