じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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こちらの記録が示す通り、9月9日の岡山は、一日を通して晴天が続き、日照時間は11.7時間となった。日照時間が11時間を超えたのは7月27日以来である。さらに、翌9月10日の朝は最低気温が20℃を割ったが、これは7月1日以来。

 そんななか、農場の稲も順調に生育しすでに穂をつけている。ただ1つ気がかりなのは、台風13号の動き。9月10日朝の時点の米軍合同台風警報センター(JTWC) の台風情報・予想進路図では、台風は九州南から四国沖方面に接近するとの予想が出ている(気象庁の台風情報は3日先までなので、10日朝の時点では石垣島方面への接近までしか予想されていない)。但し米軍の進路予想はあくまで目安であって、数時間単位で大幅に修正されることがある。



9月9日(火)

【思ったこと】
_80909(火)[一般]人間ドック:「健康な人」初の上昇と言うが

 2日間にわたり職員定期健診関連の話題を取り上げてきたところであるが、タイミングよく9月9日付けの毎日新聞ニュースで

人間ドック:「健康な人」初の上昇 メタボ対策効果?

という記事が掲載されていることに気づいた。記事によれば、昨年、全国で人間ドックを受診した人のうち、「異常なし」(A判定)と「軽度異常だが現在心配がない」(B判定)を合わせた「健康な人」の割合が、24年に及ぶ調査で初めて前年(06年)を上回ったとのことである。

 検索の結果、日本人間ドック学会のサイトの中のこちらの資料に当該のデータが公表されていることが分かった。

 その資料の25ページ目のオリジナルデータをザッと眺めたところ、A判定とB判定を合計した比率は
  • 35歳以下 24.5%
  • 40〜49歳 12.3%
  • 50〜59歳 7.5%
  • 60歳以上 5.7%
となっており、私の世代(50〜59歳)では、「健康な人」の比率は10人に1人にも満たないことが分かった(30ページに性別の比率が図示されており、50〜59歳の男性は6.5%、女性は9.1%となっていて、男性だけでみるとさらに低い)。なお、C〜D判定の比率が100%を超えていて変だなあと思ったが、これは検査項目ごとの異常率の合計を示しているということであった。




 人間ドックを受診した人の中での「健康な人」の比率が、そっくりそのまま日本人一般の「健康な人」の比率に一致するかどうかは分からない。違いをもたらす要因を思いつくままに挙げてみると
  1. 現に病気にかかっていて何らかの治療を受けている人は、わざわざ人間ドックは受診しない。保険で精密検査を受けたほうが遙かにお得である。よって、日本人全体の「健康な人」の割合は、人間ドック受診者の比率よりも低下する可能性がある(病気で治療を受けている人がプラスされるので)。
  2. 健康に自信があって、日常生活上何も不安をかかえていない人は、必ずしも人間ドックは受診しないかも。もし、「最近何となく調子が悪いけれど、病院で診断を受けるほどではない」という人ばかりが人間ドックを受診するのであれば、日本人全体の「健康な人」の割合は、人間ドック受診者の比率よりも増加する可能性がある(健康上不安が無いという人がプラスされるので)。
 上記の1.と2.はプラスマイナスで逆の影響を及ぼすことになるが、どちらが強く働くかは分からない。

 ちなみに私自身は、35歳になった頃に2回だけ人間ドックを受けたが、その後は一度も受診の経験が無い。理由は、職員定期健診(無料)だけで、基本的な異常はすべてチェックできるからである。もし定期健診で異常が見つかった時は紹介状を携えて病院に行けば、保険医療の中でもっと詳しい精密検査を受けることができる。毎月相当高額の共済短期保険料を払っているのだから、当然そちらを利用すべきである。




 それにしても「健康な人」の比率が50歳台で10人に1人、60歳台で20人に1人程度というのは、逆に見れば、中高年の圧倒的多数が「不健康な人」であることを意味する。多数決の原理をあてはめるなら、「不健康な人」こそが正常であり、ごく少数の「健康な人」はむしろ異常と言えないこともない。

 このことを天気に喩えるならば、一年を通してよく晴れ、穏やかな海に囲まれた島に住んでいる人にとっては、「無風快晴」が「正常」で、嵐が続けば「異常」気象ということになる。いっぽう、一年中暴風が吹き荒れるような島に住んでいる人にとっては、嵐が続く状態が「正常」であって、無風快晴はむしろ「異常」気象ということになる。50歳代以降の世代の場合は、まさに、嵐の中を航海するのが当たり前であって、無風快晴を期待すること自体が間違っているのではないかという気もする。

 もちろん、早期発見で治る病気であるなら、治したほうがよいに決まっている。しかし、人間は、平均寿命±2σ程度の範囲でいずれ死ぬものであり、いくら健康体を保とうと日々精進したところで、そんなに寿命を延ばすことはできない。いったん病気に罹ってしまって、治りそうもなさそうだということになったら、じたばたせず、残りの人生を有意義に過ごすことに専念したほうが良いのではないかと思う。

 少し前に車を運転中、ラジオの電話健康相談の番組を聴いたことがあった。たまたま、86歳のお婆さんが、視力が低下して目が殆ど見えなくなってしまったが、薬が効いていないようだ、もっと良い治療法は無いのかというような相談をされていたが、その方は、何年か前から重い病気の治療を受けており合併症も併発されてているようであった。そりゃ、元の健康体に何とかして戻りたいというお気持ちは十分に理解できるけれども、いくら医学の力をもってしても治療には限界がある。相談員のお医者さんも「その状態は治すことはできません。これ以上悪い方向に進行させないためのお薬を飲んで、体を大切にしてください。」というような回答をされていたが、お婆さんは納得できない様子であった。ま、お気持ちは分かるけれども、現状を受け入れるということも必要ではないかなあという気もした。




 私自身は今のところ健康上の問題はかかえていないけれども、老眼の進行や、記憶力の低下などはかなり顕著になってきている。けっきょくのところ、日々の規則的な生活、あるいは週単位、月単位、年単位のスケジュールの中で、やるべきこと、やりたいことに最善を尽くすという以外には手の尽くしようがない。やるべきこともやりたいことも何も無くなった時は、それが早かろうと遅かろうと、たぶん、悟りを開いたような境地となり、またそれをもって寿命が尽きた時ということになるのだろう。