じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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9月2日付けの楽天版に「目玉おやじ型キノコ出現」という写真を載せたが、これはカラカサタケ(毒キノコのオオシロカラカサタケの可能性大)の傘になる前の様子であった。カラカサタケは菌輪を形成することで知られており、現在、大学構内の少なくとも2箇所で観察することができる。写真上は「目玉おやじ型キノコ」を含む菌輪(赤い輪が「目玉おやじ型キノコ」の撮影地点)。写真下は、別の場所で見られた菌輪。

 ウィキペディアの当該項目にあるように、菌輪はFairy rings と英訳される事からもわかる通り、各国の神話や民話の中に多く登場する。菌輪は菌類の肉眼的な子実体(いわゆるキノコ)の配列として視認できるほか、草が環状に枯死したり、逆に草が生育過剰になったりすることでも人目につく。 草原に、丸い輪が発生した時は、宇宙人の仕業ではないかと疑う前に、まず、菌輪の可能性を考えるべきである。


9月2日(火)

【思ったこと】
_80902(火)[一般]福田首相の「自分自身を客観的に見る」「あなたと違うんです」発言の真相?

 福田総理大臣は、9月1日の夜、緊急の記者会見を行い、辞任する意向を表明したが、その終了間際、「総理の会見は人ごとのように感じるという国民が多かった」という記者の質問に対して、

●私は自分自身のことは客観的に 見ることができるんです。あなたとは違うんです」

というような言葉を残して会見会場を去ったという。

 このシーンは視聴者にとっても非常に衝撃的であったようで、Googleで「福田 客観的」というキーワードで検索すると、9月3日朝7時現在で、なんと40万8000件がヒットする状況となっていた。

 私自身、ニュース番組で一度だけ、このご発言があったシーンを直接視る機会があったのだが、正確なお言葉がどのようなものであったのかは忘れてしまった。ネット上で閲覧できる記事でも表現に微妙な食い違いがあり、ざっと抜粋すると、
  1. 「私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違う」と気色ばんだ。(スポニチ)。
  2. 「人ごとのように、とアナタおっしゃったけどもねぇ、私は自分自身のことは客観的に見れるんです。アナタとは違うんです」と語気を荒らげ、言い放った。そのまま会見は打ち切られた。(デイリースポーツ
  3. 「自分自身こそ客観的に見ることができる。あなたと違うんです」。質問した記者にそう捨てぜりふを残し、会見場を後にした。(東京新聞)。
  4. 「『ひとごとのように』とあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」。ふだん感情を表に出すことの少ない福田首相が、辞任会見の最後の質問で、珍しく気色ばんだ。 (アサヒコム)。
などとなっている。なお上記のリンク先のコンテンツは9月3日朝7時の時点ではアクセス可能であるが、いずれ削除されると思われるので、証拠保全をしたいと思われる方は、画面クリップ(「Print Screen」)などの方法によりお早めに保存をしておいていただきたい。




 さて、上記の表現のどれがいちばん正確なのかは、会見の映像を再度チェックすればすぐに分かることだが、手元には録画が無いのでなんとも言えない。あくまで、推測・考察になるが、
  • 「客観的に見れる」か?「客観的に見ることができる」か?
    →私の世代では「見れる」という「ら抜き表現」は不自然に聞こえる。私よりも年配の福田氏が「ら抜き表現」を使うとは思えない。

  • 「自分自身を客観的に見ることができる」か? 「自分自身のことは客観的に見ることができる」か?
    「自分自身を客観的に見る」は、自分自身の存在、行動、性格などをすべて客観的に見られるという意味であり、これは大変なことだ。社会構成主義的に言えば、まず不可能。後者の「自分自身のこと」であれば、「自分自身の役割や置かれている位置について、個人的な願望や主観を交えず、第三者的立場から公正に分析することができる」という意味にとらえらることができ、こちらはある程度可能であろう。

  • 「自分自身こそ客観的に見ることができる。あなたと違うんです」か?
    →これは、「あなた(=質問した記者)と比較して、自分のほうが世の中全般を客観的に見られる」という意味になる。ご発言とは趣旨がかなり異なるのでは?




 以上、あれこれ推測してみたが、書き終わってから、ひょっとして首相官邸サイトに公式記録が残っているのではないかと思い、さっそくアクセスしてみたところ、あったあった
(問)
 一般に、総理の会見が国民には他人事のように聞こえるというふうな話がよく聞かれておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのように印象を持つのです。
 安倍総理に引き続く、こういう形での辞め方になったことについて、自民党を中心とする現在の政権に与える影響というものをどんなふうにお考えでしょうか。

(総理)
 現在の政権。自民党・公明党政権ですか。

(問)
 はい。

(総理)
 それは、順調にいけばいいですよ。これに越したことはないこしたことはない。しかし、私のこの先を見通す、この目の中には、決して順調ではない可能性がある。また、その状況の中で不測の事態に陥ってはいけない。そういうことも考えました。
 他人事のようにというふうにあなたはおっしゃったけれども、私は自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。




 上記リンク4.のアサヒコムの記事によれば、この質問をしたのは、中国新聞の男性記者であったという。ネット上で閲覧可能な各種ブログや掲示板等では、「自分自身を客観的に見る」よりも「あなたと違うんです」と発言された部分について注目が集まっているようだ。「福田 あなたとは」というキーワードでGoogle検索すると、9月3日朝7時の時点でなんと98万件がヒット。上記の「福田 客観的」の40万8000件の2倍以上となっており、早くも流行語大賞候補?(サンスポ)に持ち上げられているとか。

 しかし、ここでいう「あなた」は国民一般ではなくて、あくまで質問した記者を意味している。もし福田首相が、当該の中国新聞記者のことをよく知っていて、その記者が自分自身を客観的に見ることができないという証拠を持っておられるなら妥当な発言だが、そうでないとすると、必ずしも客観的な発言とは言えないことになる。もちろん、人はみな同じではない。この質疑の文脈ではなく、個々人の同一性や多様性に関する一般的な見解表明であるなら、「あなたとは違うんです」は常に真である。仮に私が、街中を歩いている人たちの中の任意の1名に向かって「私はあなたと違うんです」と大声で叫んだとしても、それは偽ではない。

追記]
 福田首相の「あなたと違うんです」が波紋を呼んだのは、それが単なる個体間の差違についての言及ではなく、高いところから「わたしには、あなたと違って客観的に見られる能力がある。」という能力差について言及したように受け止められているためではないかと思う。
 もし、こちらの方から「あなたと違うんです」と言われたとしても、「そうや、そんなの当たり前やないか。一緒にされてたまるかぁ」と受け止めてしまいそう。しかし、この姫こそ、自分自身を客観的に見てほしいものだ。