じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 6月もあと1日となった。この時期、梅雨の晴れ間は、強い日差しに照らされて田んぼ全体が緑に輝いている。また、夕日が水面に映る様子も素晴らしい。



6月29日(日)

【ちょっと思ったこと】

安野光雅氏の「私の日本語辞典」

 土曜日、NHKラジオをたまたま聞いていたところ、NHKラジオ第2で「私の日本語辞典」という番組をやっていた。この時出演されたのは、画家・絵本作家の安野光雅氏、テーマは「絵を生み出すことば」であった。

 連載企画の3回目の後半部分しか聴けなかったが、安野氏は、古典にも造詣が深く、文語体について独自のお考えを拝聴することができた。

 今回のお話を通じてぜひ読みたいと思ったのは

『片想い百人一首』 (ISBN:9784480424020)

これは百人一首の下の句に、安野氏独自の上の句をつけた作品であるようだ。文才の無い私でも、いくつかの句であれば、じぶん版の百人一首を作ることができそう。いずれチャレンジしてみたい。

 このほか

『起笑転結』 (ISBN:9784167380045)

も面白そうな作品だと思ったがネットで検索した限りでは絶版・品切れになっていた。




 ラジオの聞き取りのため不確かだが、文語体の作品を現代人が読むというのは、ちょうど、口語体を遣う観客が、文語体の演劇を鑑賞するような効果があるというようなお話をされていてなるほどと思った。舞台の上の役者たちが口語体を喋ることは、観客と同じ世界の日常事を表現するには有効だが、過去や、現実から遊離した想像上の世界を描く場合には不向きである。確かに、能や狂言や歌舞伎などは特別の言葉で喋るから非日常的に聞こえるのであって、あれを全部現代口語に直してしまったらわざとらしく聞こえてしまうだろう。

 そのことで思ったが、例えば外国映画なども、吹き替えではなく字幕で視たほうが別の世界の出来事という前提のもとでリアルに感じることがある。

 余談だが、『冬ソナ』の場合はちょっと変わっていて、日本語吹き替えでも、韓国語版の字幕でも、それぞれ独自の雰囲気があって、どちらが好みというような甲乙はつけがたい。