じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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岡山大学構内のお花見(31)ワルナスビ

 美しい花であるが、雑草としてはタチが悪く、要注意外来生物のリストに加えられている、 うっかり引き抜こうとすればトゲが刺さるし、通常の芝刈り機では、根が残ってしまい、完全駆除は難しい。

 2005年8月3日や、2004年6月6日の写真にもあるように、大学構内各所で繁殖している。秋にはこの写真のような、黄色い実をつけるが有毒。


6月9日(月)

【思ったこと】
_80609(月)[心理]人間・植物関係学会2008年大会(3)ガレキに花を咲かせる効果

 基調報告の2番目は、天川佳美氏による、

●植物に助けられた震災復興の取り組み

という体験事例の紹介であった。

 天川氏は、神戸市で長年にわたり都市計画・設計のお仕事をされていたが、阪神淡路大震災により社屋が倒壊、その後、被災地のガレキの上に花を咲かせる運動に取り組み、その後も、国内外の地震、テロ、水害などの被災地での復興支援活動を続けておられる。ネットで検索したところ、こちらに、『ガレキに花を咲かせましょう』という御著書の紹介があった。震災復興時の貴重な写真はこちらにも紹介されており、今回のお話の内容の一部は、それらに大体沿ったものであった。
 1番目の中瀬氏の基調報告にもあったが、ガレキの中や被害を免れた樹木の花が被災者を元気づけるということがある。やや性格を異にするが、被爆地広島のキョウチクトウは、草木も生えないといわれた焦土でいち早く花を咲かせ、市民に復興への希望と光を与えてくれたことで知られている。

 また、震災で亡くなった方の思い出をつなぐような花が、残された人々を癒してくれることもある。今回の講演では、はるかちゃんのひまわりが紹介されていた。震災で亡くなったはるかちゃんの隣の家の人がオウムを飼っており、はるかちゃんはそのオウムにヒマワリの種を与えて可愛がっていたという。その種が散乱し見事な花を咲かせたことから、この運動が始まったということである。

 こうした体験談には、言葉では尽くせないほどの御苦労があり、またその一方で、当事者にしか分からないような大きな感動もあると思う。従って、「花を植える活動は、被災者を励ます上でどのような効果があったか」というような厳密な効果検証をすべきであるといった野暮な提言は差し控えておくほうがよいかと思う。少なくとも、この活動に関わった人々にとってはポジティブな効果があったわけだし、また、放っておけばガレキのまま取り残されゴミが散乱するような場所で花を育て、人が集まる場所に変えることができたということは、それだけで十分に有効性があったと言うべきであろう。

 なお、現在、四川大地震の被災状況が連日伝えられているところであるが、阪神淡路大震災の時の「花を咲かせましょう」活動体験を、そのまま四川省被災地に活かすことは難しいように思う。阪神淡路大震災や、その後の中越地震、ニューヨークでのテロなどは、いずれも多くの犠牲者を出したものの、被災面積はそれほど大きくなく、従って、「衣・食・住」のうちの「衣・食」については、行き届いた支援態勢がとりやすい状況にあった。しかし、今の四川省の震源地付近では、「衣・食・住」すべてがきわめて不十分である上に、せき止め湖決壊による二次災害も心配されている。マズローに与するわけではないが、生理的欲求や安全欲求が満たされない限りは、花を植えましょうなどという余裕は到底出てこないのではないかという気もする。但し、人間・植物関係学の基本的視点から言えば、植物に関わるということは、それ自体、生理的欲求や安全欲求といった、最も基礎的なレベルの「欲求」と一体化しており、決して「ゆとりが出てから始める」というようなものではない。例えば、スプラウトの栽培は病室の患者さんを元気づけるというような話を聞いたことがあるが【←但し、あくまで長谷川の記憶に基づくので不確か】、これなども、精神的余裕があってスプラウト栽培をするというより、生きる力を分けてもらうという形で効果をもたらしていると考えることができる。

 次回に続く。