じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



04月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
 岡山大学の時計塔の耐震補強改修がめでたく竣工。4月8日(火)の入学式にギリギリで間に合ったようだ。写真左下(4月4日撮影)にあるように、夜間は文字盤が点灯する。また、タイルがピカピカのため、写真右下にあるように、角度によっては太陽光線の反射で輝いて見えることがある。


4月8日(火)

【思ったこと】
_80408(火)[心理]「しなければならないことをする」と「したいことをする」(15)とりあえずのまとめ(2)

 最後に、連載の始まりの頃に掲げた
  1. どういう場合に「したいこと」、どういう場合に「しなければならないこと」になるのか
  2. 「したいこと」がどうして「しなければならないこと」に変化してしまうのか
  3. 「しなければならないこと」はどうすれば「したいこと」に変えられるのか
について、暫定的ではあるが解答を試みることにしたい。

 まず1. に関しては、行動随伴性の違いであると断言してよいだろう。すなわち、「したいことをする」行動とは、好子出現の随伴性で強化されている行動のことであり、「しなければならないからする」行動は、嫌子消失、嫌子出現阻止、好子消失阻止という3種類の随伴性のいずれかによって強化されている行動のことである。

次に2.に関しては、4月3日以降の日記で取り上げている、Malott(2005) の主張が有用である。すなわち、あることの達成を目ざして遂行される行動は、長期的には大きな好子が出現するため、好子出現の随伴性によって強化されている行動に分類される。しかし、その随伴性だけではしばしば先延ばしが起こってしまうので、現実には、暗黙または明示的に「締切」が設定されるようになる。そして締切を守れないと、きわめて嫌悪的な事態に陥ると想定される。この場合の行動は、回避/逃避型の随伴性と化してしまうため、当事者はこれを「しなければならない行動」に分類することになる。

 もう1つ、3.に関しては、「しなければならない」積み重ねが「したいこと」に転じるという例がたくさん挙げられる。

 すでに述べたように、数学が好きな人にとっては、難問を解くという行動はそれ自体が楽しみとなる「したいこと」である。ピアノ熟達者が好きなメロディを奏でて余暇を過ごす場合も「したいこと」に加えることができる。しかし、いずれの場合も、まずは、数学の基礎勉強や、ピアノの猛練習の積み重ねがあって、その上で初めて「したいこと」に到達できるのである。生まれながらにして数学が好きだという人はいないし、いくらピアノの天才であっても、練習なしに最初から弾けるわけではない。これらはいずれも「しなければならない」レベルの練習を経て、「したいこと」が実現できた例と言えるだろう。




 このほか、何かに着手する時点では「しなければならない」ようなことが、いったん取りかかると「したいこと」に変化する可能性もある。これに関しては、Malott(2005)自身、自らの執筆活動を例に挙げている(85頁)。要するに、着手する段階では他の「誘惑」が多すぎるのである。例えば、小説を読み始めた時点では、数頁読んだあとでテレビのスイッチを入れる、ゲームをする、買い物に出かけるというように、「小説を読む」という行動と同レベルかそれ以上に強化されている行動が競合するため、なかなか集中できない。しかし、ある程度読み進むと、ストーリーの展開自体が強固な好子をもたらし、それに没頭する(=自走する)ようになる。

 いま挙げた例から示唆されるように、先延ばしが起こる原因はかならずしも
  • 「1回あたりは小さすぎるが、累積的には大きな意味をもつ結果」は有効な好子にならない。
  • 確率が小さすぎる結果
だけとは限らないようだ。つまり、新しい行動を始めようとする段階にあっては、競合する別の行動が着手を妨げ、優先順位を低めることによって、結果的に先延ばしが起こっている場合もある。

 何かのショックを受けて「落ち込んでいる」状態にある人が、知人からかなり強引に新しいことをするように勧められたり、みずから何かを「しなければならない」状況に追い込むことで、立ち直りの機会がつかめた、というのはよく聞く話である。上述と同様、「しなければならない」状態から「したい」という自走状態への転換がうまくできた例と言えるだろう。


 次回に続く。