じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _80326(水)[心理]第13回人間行動分析研究会(9)行動分析学と社会構成主義(3) ●行動分析学と社会構成主義:随伴性と遇有性をめぐって というタイトルの発表についての感想の最終回。 今回の発表は内容が盛りだくさんであったので、意見や感想を書き連ねていくとおそらく1カ月はこれにかかりきりになってしまう気がする。しかしそういうわけにもいかないので、ここでは、以下の3点にとどめ、これ以外については、いずれ別の連載の中で考えを述べることにしたいと思う。 まず第一に、スライド資料の中で発表者は、「行動分析学は、人が社会に対して能動的に関わることを肯定し、推奨しているが、能動的に社会と関われない人に対する否定になっていないだろうか?」と述べておられたが、この部分の論拠がよく分からなかった。 確かに、私などはまさに「行動主義」をもじった「能動主義」を標榜し、環境に対して能動的に関わることの意義を説いているところではあるが、能動的に関わることが正しく、関われないことが間違いであるというような、肯定、否定という考えは持っていない。それと、関わる対象は必ずしも「社会」ばかりとは限らない。じっさい私などは、社会よりも自然環境との関わりを好むところがある。 「能動的に関わる」というのは、要するに、オペラント行動が発せられ、結果としてそれが正の強化を受けている状態のことを言う。オペラント行動の内容は多種多様であり、必ずしも、筋肉の運動ばかりではない。重度の障害者であっても、寝たきりのお年寄りであっても、健常者と同じように、常に外部環境に能動的に働きかけている。但し、健常者と同じようには「能動の結果」を享受できない場合がある。それをサポートするのが各種セラピーであったり、介護、支援であったりするわけだ。 第二に、発表者は、行動分析学学会年次大会の発表タイトルを引用しながら、各種発表の多くに ●「こういう生き方がよりよい生き方だ」と示し、そこに向けて行動分析学的な研究をし、発表する。 という傾向があると指摘しておられたが、うーむ、どうだろうか。 ま、一部の研究にそういう傾向があるかもしれないことは否定しないけれども、大部分の発表は、「こういう生き方がよりよい生き方だ」ではなく「もしこういう生き方を選ぶとしたら、こういう方法が有効である」というテクニカルな成果の公表に主眼を置いているのではないかと思う。 元来、エビデンスに基づいた議論というのは、ある前提のもとで、テクニカルな問題についての有効性を検討するという形をとりやすい。発表時間の限られた学会年次大会であればなおさらであろう。自動車の燃費効率を上げるための研究発表に際して、いちいち、「自動車に乗ることは地球環境によって良いことか」というような議論はしないのと同様である。 発表者はさらに、「障害学における個人モデル批判」として、 障害についての個人モデル(医療モデル)は、そもそもの障害の生起点は、身体の組織または機能の欠損(以後インペアメント)であり、これがあるために自由な移動が制限されたり、これに伴い就労が困難であったりする、と考えてきた。このようなインペアメントに起因する問題を個人の属性として捉え、専門家が介入し訓練することによってインペアメントの克服・軽減が図られてきた。と述べておられたが、私は、障害者に対する支援の一番の目的は、障害者ご自身の行動リパートリを増やすことにあると考えている。行動リパートリーを増やせば、それだけ、外部環境に対して豊富に関われるようになる。但し、その方向性は多種多様であって、必ずしも健常者優位社会に適応するという方向に向かうことを推奨しているわけではない。 例えば、ピアノの練習をすることは、自らの楽器演奏のリパートリーを増やし、音楽への能動的な関わりの機会を増やすことにつながる。また、英会話を学ぶことは、外国の人たちとの交流機会を増やすことにつながる。障害者とか健常者という区別なしに、とにかく、行動リパートリーを増やすことを望む人たちに対して、それを獲得するための有効な方法を提供することには意義があると思う。 もちろん、行動リパートリーの拡大を望まない人に対してそれを強制するのは禁物である。しかし、人は誰でも、望むこと、好きなこと、関心や興味対象を、生まれながらにして持っているわけではない。ある程度やってみなければ、それが自分にとって本当にやりがいのあるものであるかどうかは判断できない。時間的にもコスト的にもすべてを尽くすことは不可能であるが、とにかく、初歩段階としていろいろな「お稽古」をして、ある程度身についたあとは本人の自走に委ねるという道筋を作ることは決して悪いことではない。悪いのはむしろ、現状を固定して支援を放棄し、リパートリーを拡大するための機会を奪うことである。 ということで、まだまだ書き足りないことは多いが、この研究会の参加感想はこれをもって最終回とさせていただく。 |