じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第三弾。
  • 一番上は、南北通りのイチョウ並木。
  • 上から2枚目は、時計台前の紅葉。とりわけ赤く輝いているのはナンキンハゼと思われる。
  • 上から3枚目の赤い樹も同様。背景は文学部。
  • 4枚目は、岡大西門左手、文化科学系総合研究棟(& 放送大学)前の広場。
  • 5枚目は、農学部前の楷の樹。


10月29日(月)

【思ったこと】
_71029(月)[心理]日本心理学会第71回大会(37) 日本人は集団主義的か?(1)

 9月18日〜20日に開催された、日本心理学会第71回大会から1カ月以上が経過してしまった。何かの学会年次大会、シンポ、研究会などに参加した時は、その時の参加感想をなるべく1週間以内に、どんなに遅くても2週間以内にWeb日記にまとめるということを原則としてきたのだが、今回はなんと、1カ月以上も継続してしまった。このように長引いている理由は、
  1. この大会には3日間とも、朝から夕刻までフルに参加したため、感想が盛りだくさんとなった。
  2. 同時期に他の学会等が無かった(もしくは、今年は参加しなかった)。
  3. 9月中旬以降非常に忙しく、他の話題について取り上げる時間的余裕が無かった。
  4. 後期は1コマ目の授業が週2日あり、当日朝に準備が必要であるため、朝の日記執筆時間が少なくなり、その分、こまぎれの連載となって連載回数が増えた。
といった点にあるかと思う。




 さて、とにもかくにも、今回から取り上げる「日本人は集団主義的か?」というシンポが、この大会の最後の感想シリーズとなる。

日本人は集団主義的か?― 経済学、言語学、心理学から考える ― 20日 13:30-15:30
  • 企画者 東京大学 高野陽太郎
  • 司会者 東京大学 高野陽太郎
  • 話題提供者 東京大学 高野陽太郎
  • 話題提供者 東京大学 三輪芳朗 #
  • 話題提供者 法政大学 小池和男 #
 ところで、企画者の高野氏と言えば、「外国語効果」の御研究でも知られており、ネットで検索すると、

●英語と似ていない日本語を母語とする日本人の方がドイツ人と比べて思考力の低下が大きい。

というような御指摘をなさっていることが分かる。もっとも、そのようなことが実験的方法でどこまで証明できるのかについては種々議論がある。じっさい、柳瀬氏によるこのような御指摘もある(関連記事がこちらにあり。但し、連載自体は未完)。

 今回の集団主義論議に関しては、

●南風原朝和・市川伸一・下山晴彦 (2001) 『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』.東京大学出版会

という本の一番最初に出てくるコラムの中で、
私たちは一般に,日本人が意見や行動を他者に同調させることが多く,アメリカ人は独立性を重んじ個人的に行動すると信じている.また,そのようなとらえ方にもとづいた文化論が多くの書物となって公刊されている.ところが,高野・纓坂(1997)は,これまでの実証的な研究はそのような事実があることを示しておらず,これは一種の俗説,もしくは一時的な状況的要因から生まれた現象の過度の一般化であると主張した.それに対して,文化心理学の中では,自己を他者から独立した存在としてとらえる欧米的な文化と,他者との関わりにおいてとらえる東洋的な文化があるとするMarkus & Kitayama(1991)の理論が影響力をもっており,両者は激しく衝突することとなった.この論争は,高野・北山両氏の「集団主義論争」として,日本認知科学会発行の『認知科学VVol. 5、No1』(1999)で展開されている.
というように紹介されており、おおむね10年にわたる「論争」が展開されていることが分かる。しかし、これは上記の「英語で話すと思考力が低下」論議と同様、問題の設定自体に少々無理があるようにも思える。

 実際、今回のシンポの質疑の時間にも指摘されていたが、そもそも「集団主義」なるものは、厳密に定義された学術的概念ではない。社会心理学の実験をやってみれば、確かに、米国人が被験者の場合の結果と日本人が被験者の場合の結果で質的な差違が出る場合もあるし、全く出ない場合もある・しかし、その実験結果だけをもって「実証」とか「反証」ということにはならない。けっきょく、俗に言われている「集団主義」的な傾向が顕著に表れるケースもあれば、そうでないケース、また時には米国人のほうが集団主義的と見えるようなケースもありうる。いくら議論を続けても、あまり生産的な結論にはたどり着かない。せいぜい、決め付けや誤解を打破するという程度で終わってしまうのではないかなあ(←いや、そういうことを指摘することも大切ではあるのだが)という気もする。

 今後の議論の参考にもなると思うので、上掲の柳瀬氏の御指摘を引用しておこう。
......言ってみるなら心理学はジレンマを抱えているように思えます。心理学は「科学」であらんとするためしばしば、(実は曖昧でしかない)日常の心理概念を、厳密に操作的に定義しなければなりません。しかし一方、心理学が日常行動を行なう人間の学であるためには、その厳密に定義された概念も、曖昧な日常言語の中に埋め込まれられなければなりません。曖昧な概念を厳密に定義し、そうして得られた結果をまた曖昧な諸概念の中に戻さなければならない----これが私の考える心理学のジレンマです。 .....



 次回に続く。