じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月28日朝の田んぼと月齢16.4の月。28日午前11時に月が最近(33°15")となるので、かなり大きめ。

 なお、9月26日の日記で、9月27日は、北緯35°〜37°あたりの地域で、昼と夜の長さが同じになる日であると書いたが、春分の日や秋分の日の頃に満月の日が一致した場合、月が見えている時間と見えていない時間も、ほぼ同じになるはずだ。今年は、秋分が9月23日18時51分、満月は9月27日04時45分であり4日ほどずれており、岡山では9月27日に、月の入りが6時03分、その日の月の出が18時01分で、月の見えていない時間がほぼ12時間となっていた。但し、「昼と夜」という概念と異なり、月の出と月の入りは、毎日必ずあるわけではない。さらに、月は地球のまわりを常に移動しているので、1日の移動分も考慮にいれなければならない。


9月28日(金)

【思ったこと】
_70928(金)[心理]日本心理学会第71回大会(9)構造構成主義の展開(4)

 昨日の続き。

●21世紀の思想と人間科学のあり方〜構造構成主義の展開〜

というシンポジウムの最後には、池田清彦氏による指定討論があった(もうお一人の指定討論者は都合により欠席)。

 ところで指定討論というと、話題提供者の講演内容について、やや違った角度から意義や問題点を指摘したり、聴衆が共通していだくような質問を出して、シンポジウム全体を盛り上げるという役目をするのが普通であるが、どうやら池田氏の場合は、独演会であっても、話題提供者のお一人であっても、今回のような指定討論者であっても、お話のスタイルは大差なく、また、一部、同じネタが使われているのでは、という印象があった。今回の指定討論でも、各話題提供者の内容に即して論評を加える部分は、最初の数分程度であり、残りはもっぱら自説を展開されるという中味であった。

 もっとも、池田氏のお話は、ご専門領域の難解な内容ではなく、日常生活のエピソードに関連したものが大半であり、その分、誰にでもよく分かるし、聞いていてもオモロイ、という特徴がある。今回の聴衆の中にも、池田氏の話を目当てに来られた方が多数おられたのではないかと思われる。




 今回の池田氏のお話の中で、オモロイと思ったことを2点挙げさせていただくと、まず、

●飲酒(酒気帯び)運転は厳罰の対象となるが、寝不足は取り締まりの対象とならないのはなぜか?

という話題があった。実際、ちょっと酒を飲んだからと言って、すべての人が危険な運転をするわけではない。むしろ、寝不足による居眠り運転のほうが重大事故を起こす危険が大きい。にも関わらず、寝不足を取り締まらないのは、それを正確かつ公正に測定する実用的手段が無いから、というのが池田氏のご趣旨であった(←長谷川のメモに基づくため、文言は不確か)。要するに、我々は、測れることしか対象としていないが、西洋の自然科学の方法では測れないものも世の中にたくさんある、ということを言われたかったのだと思う。

 もっとも、ここに挙げられた事例は、科学技術が進歩すれば改善できるような部類であると言えなくもない。睡眠不足かどうかという検問をすべてのドライバーに課すのは現実には不可能であるが、例えばバスやトラックの運転手に対して、4〜5時間ごとにフリッカーテストを実施して、中枢神経の疲労度が高い時には休息を命じるといった措置をとることは実現可能なはずだ。

 もう1つ、

●ゼッタイに治らないと宣告された癌患者の中にも、ごくわずかながら、治る人がいる。

というようなお話があった、と記憶している(長谷川の記憶によるため、かなり不確か)。これは確か、文節恣意性や関係性に関連して出された事例であったと思うが、しっくりこない気もした。

 確かに、ある治療法の一般的な有効性が実証されていたとしても、100%の患者にそれが効くというわけではない。逆に、有効性が検証されていない治療法が特定の個人では有効というケースもあるかもしれない。その個人にしてみれば、とにかく治ればよいわけで、治療法の一般的有効性がどうこうというのは二の次である。

 もっとも、癌が治ったとか治らなかったというのはあくまで結果をみての話である。医師や患者にとっての関心事は、もっと前の時点で、どういう選択をすることが最善であるかということにある。仮に治療法Aで治る確率が70%、治療法Aを使わずに治療法Bを使った場合の治る確率が5%であったとする。そのさい、治療法Bのほうが体質に合っているというような明確な鑑別基準があるならともかく、そういう知識が一切なかった時には、やはり、治療法Aのほうを選ぶというのが常識的な選択であろうとは思う。また、治った場合と治らなかった場合の違いがちゃんと説明できない限りは、「治ったのは運が良かったからだ」という偶然確率現象として対処するほかはない。




 以上、今回のシンポについていろいろ述べてきたが、構造構成主義について一人前の意見を述べるためには、やはり最低限、池田氏や西條氏の著作を数冊以上読破し、内容をきっちり理解することが前提になるかと思う。しかし、今回のような心理学関係の学会に出てくる人たちというのは、多くが、自分の研究発表と、関心領域に限定した情報収集で精一杯という面もある。特に、実験心理学的方法の正当性や、「エビデンス」重視を信じて疑わない人たちの前では、いくら啓蒙的なシンポを企画しても、インパクトは小さいのではないかという気もする。これは、このWeb日記でも何度か取り上げた社会構成主義についても言えることだ。そういう意味では、啓蒙段階の次のステップが、輪を広げていく上での正念場になるように思う。


 次回に続く。