じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 毎年春に出現する折田先生像。↓の記事参照。



9月16日(日)

【思ったこと】
_70916(日)[教育]FD活動10年を振り返る(4)それぞれの大学の特色を活かしたFD

 一昨日に続いて、平成19年度 「桃太郎フォーラム]」の話題。私自身が講師を仰せつかった、

●「岡山大学におけるこれまでのFDの取り組み −この10年の総括及び今後の展望− 」

の後半では、「5. 今後の課題と展望」と題して、特に以下の3点について私なりの考えを述べさせていただいた。
  • (1)ボトムアップとトップダウン
  • (2)「岡山大学ならでは」の特色を出す
  • (3)参加者の輪を広げる【スライド資料参照(当日のみ公開】/部局に持ち帰ってからの報告、反映
 まず、「(1)ボトムアップとトップダウン」だが、FDに関しては、ボトムアップ型の改革が自然発生的、自主的努力のみによってなされることは到底あり得ない、というのが私の持論である。

 これは決して教員が怠けているというわけではなく、また悲観論に陥っているというわけでもない。いちばんの理由は、大学教員は、教育活動以外にも、研究活動や管理運営や地域貢献など種々の業務に携わっており、現状で特段の不都合が無ければ、FD活動のために多大な時間を割こうとはしない。面倒な議論は先延ばしで乗り切りたいという本音がちらついてしまう。

 また、教育組織の改革に乗り出そうとしても、ボトムアップ型ではなかなか全学的な見地には立ちにくいところがある。一般論は主張しても、いざそれが、ポスト削減というような形で、自ら属する教育組織や研究領域の不利益に関わる問題となれば、自己保身、自集団の保身を最優先せざるを得ない面がある。

 では、文科省の答申や学長の意向に基づいてトップダウン型で改革をすればよいか、ということだが、あまりにも強引に実施した場合は、けっきょくは形式だけの導入、アリバイ的な報告書作りだけで終わってしまうことになる。

 けっきょくは、特効薬は無いということになるが、まずは、それぞれの大学において、自分の大学が置かれている現状を正確に把握し、首脳陣のリーダーシップと多数参加のもとでの徹底的な合意形成につとめる、ということに尽きるのではないかと思う。




 次に、(2)「岡山大学ならでは」の特色を出す、という話題だが、岡大のFDは、東大、京大、あるいは私立大のFDとは明らかに異なる。また、同じ大学であっても、30年前と今では学生の質が変わっており、「わが大学では30年間、この教育をやってきました。それで間違っているとは思いません」というわけにはいかない。今回では、上にも掲載した2007年版折田先生像(←実物ではない。当時の不二家の不祥事にヒントを得ている)を、過去のペンキで塗られた折田先生のオリジナルの像と比較し、同じ大学にあっても、この2つの像が象徴しているように、学生の気質は変わるものだということを主張させていただいた。

 岡大の場合、これまでのところ、一部の私立大に見られるような私語対策に労力を割く必要は無い。学力の問題も、一部の私立大で問題にされているような極端な学力低下は無く、基礎的な部分はちゃんとできていると思うが、より専門的なところでの進路選択、あるいは、成績不振学生への対処などは大きな課題になっている。今回のフォーラムでも、分科会の1つで「学生のメンタルケアを考える」というテーマが取り上げられているが、これは、99%というような学生の圧倒的多数部分にに有益な制度改革ばかりでなく、残り1%というような少数者への配慮も考慮すべきであり個々の学生への対応をきめ細かく行う必要があるという観点を重視したものと言えるだろう。
 次回に続く。