じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 蒜山高原・鬼女台(きめんだい)に出現した光の柱(9月2日夕刻撮影)。雲の隙間から太陽の光が柱状に射し込み、幻想的は風景を作り出していた。この日の夜は、とっとり花回廊のムーンライトフラワーガーデンのイルミネーションを堪能した。


9月3日(月)

【ちょっと思ったこと】

妖怪とモンスター

 米子近辺の小旅行の途中、境港の水木しげる記念館に行ってみた。

 水木しげるロード自体は1998年8月14日の日記に旅行記録があるので9年ぶりであるが、記念館はもちろん初めてであった。

 この日は夏休み後の平日である上に、にわか雨があるなどあいにくの天気であったが、館内は、若い女性、カップル、赤ちゃん連れ、中高年など多種多様な人たちで結構賑わっていた。

 私自身は、じつは、水木しげるの作品を殆ど読んだことがない。水木しげるの人気が出てきたのは、ちょうど私は高校生〜大学院生の頃であったと思う。あの頃は、マンガやアニメにはけっこう関心が高かったのだが、私の好みは、もっぱら「銀河鉄道999」や「男おいどん」などの松本零士作品や、西岸良平作品などであって、妖怪モノに熱中したことは一度も無かった。

 今回改めて館内の妖怪に接してみたわけだが、うーむ、骸骨や腐乱死体に似たようなグロテスクなものもある。じっさい、展示物の前で怖がって泣き出している赤ちゃんも居た。

 しかし館内は別段、お化け屋敷というわけでもない。みな楽しみながら展示物を見ているし、街角では妖怪グッズが飛ぶように売れている。外国人の目には、ずいぶんと、異様な光景に見えるのではないかという気もした。

 別段怖いモノ見たさ、というわけでもないし、可愛いキャラクターがあるわけでもない。にも関わらずあれだけ長期にわたって人気があり、「妖怪による町おこし」と題して、安倍内閣メールマガジン(8/23)でも紹介されるようになった背景には何があるのだろうか。

 あくまで私自身の年代に限っての話であるが、ああいう妖怪キャラには、幼少期、それも、漠然としていて言葉で言い表せないような、外界への怖れを呼び起こさせる懐かしさがある。そのことが、中高年への人気の一因にもなっているように思われた。

 私が子どもの頃は、まだ夜道が暗いこともあって暗闇の中を歩くと後ろから何かが追いかけてくるような感触、登り坂で見上げる夜の雲、雨音やぬかるみなど、をひどく怖れた時期があった。展示物の説明書きなど見ていると、そうか、私自身も子どもの頃、その妖怪に出会ったことがあるぞ、という気持ちになってくる。つまり、妖怪のキャラは、何かしら、自分自身の現在と幼少時の体験をつなぐパイプとなっているのである。こういう気持ちは、ポケットモンスターのような「人工的な怪物」では全く起こってこない。仮に、ポケモン記念館やポケモンロードのようなものが仮に実在しても、わざわざ行ってみたいとは思わないなあ。

 私自身は小学校高学年の頃からずっと科学少年であって、妖怪、精霊、オカルトのたぐいは一貫して攻撃的に否定してきたところがあり、今もその「科学的」精神は健在である。しかし、最近、健康のために近くの里山など登ることが多くなって改めて思うのだが、外在的で無神論的な自然環境はそっくりそのまま受け入れるとして、自分自身と自然環境との関わりの中で独自に創り上げる物語の世界では、妖怪や精霊のようなものが出てきてもよいかなあという考えも持ちつつある。そういう付加価値をつけたほうが、古木に対する畏敬の念をいだき、大自然との関わりを豊かにすることができる、という面はあると思う。