じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[写真]

 モンゴルツアーの6日目はかなりの雨が降り、ハイルハン(Hayrhan)という村のバーの厨房とテーブルを借りて昼食をとることになった。ちなみに、この村では、雨がたくさん降っているために送電線が故障し停電が続いているということであった。ふだんあまり雨が降らないためか、漏電・防水対策ができていないようであった。

 看板には「BAR」と書かれてあったが、日本で言う「バー」とは全く異なっており、中では、現地の人がパスタ料理(こちらの写真の左側。右側は我々の昼食の一部となった、うどん)を食べておられた。店のドアの内側には、有名外国人女性のポスターが2枚張られており、左側のポスターには「Choi Ji Wo チェ・ジウ」の文字が。韓国人女優なのになぜハングルではなくて日本語カタカナで表記されているのかは大きな謎である。なお、現地ガイドさんは、モンゴルではチェ・ジウさんは有名だが、「冬のソナタ」は観たことがないと言っておられた。

 余談だが、帰国療養中の朝青龍関に関して北の湖理事長は「(行くのが)繁華街だったら認められない」と言っておられるようだが、この写真にあるような店も「繁華街」に含まれるのだろうか。

※「BAR」の左隣の店には「ЗООГИЙН ГАЗАР」(たぶん、「ゾーギン・ガザル」というような発音)という看板がかかっているが、現地ガイドによれば、これは食堂という意味。モンゴルで腹が減った時は、この看板の店に入れば何とかなりそうだ。


9月1日(土)

【ちょっと思ったこと】

早くも年金の選択を迫られる

 某保険会社から財形年金積立保険関連の書類が郵送されてきた。定年までまだ10年半もあるのに、何でこんな時期に?と思ったが、確かに、財形年金というのは
  • 在職中に保険料の払込みが終了すること
  • 年金支払開始年齢は満60歳以降であること
  • 払込終了後、年金支払開始日までは5年以内であること
が定められており、私の場合、55歳で払い込み終了、60歳以降から受け取りという契約をしていたので、まもなく払い込み終了期間を迎えるわけである。というように納得してみるものの、秋の訪れが感じられるこの時期に早くも年金の話題というのは、まことに空しい感じがする。

 払い込み終了にあたって私が選択を迫られているのは、

●確定年金
被保険者が生存されている限り、所定の期間(6年・10年・15年)受け取れる。(確定期間中に死亡した場合は、期間内の未払い分のみ相続)。

●10年保証終身年金
被保険者が生存されている限り、一生涯受け取れる。(保証期間中に死亡した場合は、保証期間内の未払い分のみ相続)。


のいずれを選ぶかということであり、これは、今の時期でないと選択変更できない。

 素朴に考えると、死ぬまで受け取れる終身型のほうがお得なように見えるが、一般的に、終身型は、10年確定型の半分程度しか毎回受け取ることができない。大ざっぱに言って、80歳以上まで長生きするなら終身型のほうがお得ということになるが、そんなこと言われたって、自分が何歳まで生きられるのかは全く見通しがつかない。それと、貨幣価値や金利、保険会社経営破綻の可能性、さらには国内外の経済情勢についてまで予想を立てなけれならない。こりゃ到底無理な話である。

 但し、気持ちとしては、一定年限で打ち切られてしまう確定型よりも、「長生きすればするほどお得」という終身型のほうが長寿の励みになるという気はする。

 今回のことで改めて定年後の生活を考える羽目になったわけだが、最近ではますます月日の流れが早く感じられている。残り10年半というのは長いようだが、できることは限られている。今後は新しいテーマには余り首を突っ込まず、これまで関わってきた問題について、納得できる形の成果を出せるようにつとめていきたいと思っている。

 ちなみに、大学教員は、残り9年、残り5年、残り4年となった時に定年を強く意識するように思う。残り9年というのは、その年の4月に入学した学生が、学部4年、大学院5年で博士号を取得するまでの標準年限のことである。つまり、残り8年以下となった場合は、学部新入生が博士となるまでの全期間を指導することができなくなる。同じように、残り5年は大学院標準在籍年数。残り4年となった時は、4月の新入生ガイダンスの際に、「私は定年まであと4年。皆さんが無事卒業される時に、私も大学を去ります」、さらに、残り3年未満では「皆さんが大学を卒業される頃には私はもう定年退職しているので、卒論指導はできませんが...」と挨拶しなければならない。

 ま、私の場合は、締切が明示されていたほうがしっかりと仕事ができるという面がある。残り10年でできないことはバッサリと切り捨て、できることだけに集中して、最大限の成果をあげていきたいと考えている。