じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 7月8日頃、パンジーの鉢でツマグロヒョウモンの幼虫が葉を食い荒らしているのを目撃した。すでに花も終わっており実害が無かったのでそのまま放置していたところ、幼虫はその後姿を消し、24日になって、写真右のような立派な蝶となってすぐ近くの草に止まっていた。同一個体であるという証拠はないが、こちらのサイトでに6/21に蛹化(ようか)した個体が7/2に羽化したという記録があることと、このあたりには他にパンジーやスミレ類が無いことからみて、7月8日に目撃したイモムシが数日後にサナギとなり、24日の午後に羽化したと考えても不自然ではないように思う。


7月24日(火)

【思ったこと】
_70724(火)[心理]避難所生活は、まず環境改善から

 2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震から一週間以上が経過した。各所で復旧活動が進んでいる反面、23日15:30消防庁発表の資料によれば、新潟県内の計75箇所で2877人が避難所生活を余儀なくされているという。

 こうした長期間の避難所生活は、健康面でいろいろな悪影響を及ぼしている。7月23日付けのネット記事によれば、 新潟大と国立病院機構などの合同チームが、新潟県柏崎市の避難所でエコノミークラス症候群=肺塞栓(そくせん)症=の検査を行ったところ、受診者400人中65人(16.3%)に同症候群の兆候とみられる症状が出ていることが、22日わかった。また65人のうち26人(全体の6.5%)では、血栓も確認されたという(7月23日7時16分の読売新聞ネット記事)。

また、7月23日配信の毎日新聞ネット記事によれば、避難所にいる高齢者はかなり多く(市市民課)という。グループの中心となって活動している榛沢医師はエコノミー症候群に関して、「限られたスペースで寝起きしなければならない避難所では症状が起きる可能性は少なくない。特に高齢者はトイレを我慢するために水分をあまり取らないで済まそうとする傾向があり注意が必要」と指摘しているという。

 エコノミー症候群以外にも健康面でいろいろな問題が生じている。7月23日配信の読売新聞ネット記事によれば、持病を抱えるお年寄りたちから、血圧の上昇や不眠など健康の不調を訴える声が相次いでいる。ある高血圧症のお年寄りは、通常、最大値170前後の血圧が、避難所で測ったところ、さらに10〜20程度上がっており、「暑くて汗だくになっても風呂に入れない。疲れがたまった」と語っておられたという。




 私自身は現地に足を運んだことがなく、避難所生活といってもテレビで映像が伝えられる範囲のことしか知らないが、その範囲で敢えて意見を言わせてもらうなら、もう少し、環境改善に気を配ればなあ、という気がしてならない。

 大地震に限らず、台風や集中豪雨による土砂災害、火山噴火災害の時などには、それぞれの地域の公共施設、学校の体育館などに避難所が設けられる。映像で拝見する限り、これらの避難所はたいがい、だだっ広い床にマットなどを敷き詰め、区割りの中で寝泊まりするというのが、どうやら標準的なスタイルになっているようだ。

 災害発生直後、あるいはその規模がきわめて大きい場合はこういう避難所スタイルもやむを得ないとは思うが、一週間経過しても同じ状態が続くというのは大いに問題があると思う。まずはプライバシー確保の問題がある。それと、周囲の騒音や館内の明かりが気になって眠れないという場合もある。医師、看護師、心理士などがそういうところを訪れていくら相談にのったとしても根本問題は解決されない。なぜなら、根本原因は、「こころ」や「からだ」ではなく、環境によって引き起こされているからである。劣悪な環境を改善しようとせずに、治療や健康維持指導などを行ったところで、よくなるはずがない。




 ではどうしたらよいのか、ということになるが、まずは、個室を希望する被災者のために、(学校であれば)体育館以外の教室等、近隣の旅館・ホテル、空室となっている賃貸物件などを一時的に確保し、疾病者・身体障害者・高齢者・幼児・妊婦などが優先されるように配慮する。

 お風呂なども、自衛隊による急ごしらえの風呂場に頼るのではななく、近隣の銭湯や温泉旅館などへのシャトルバスを運行すればずいぶんとくつろげるはずだ。

 また、避難所支援というと、まずは食料や水の確保が大切であることは言うまでも無いが、これだけでは健康は守れない。心身の健康は、適度の娯楽・休息、能動的な行動機会が確保されて初めて守れるものである。テレビやDVD、パチンコ台、卓球台、囲碁将棋セット、テレビゲーム機、というように、「こんな災害の場で遊んでいるとな何事だ!」と非難されそうな遊具も、じつは、健康保持に有用となる場合がある。「被災しているのに遊んでいるとは!」ではなくて、「被災しているからこそ、せめて、できるだけ遊んでもらいたい」という発想が大切ではないかと思う。