じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 各種報道によれば、日本各地に大雨をもたらした台風4号は7月16日朝の時点で日本の東の海上を東北東へ進んでいて、このあとも日本から遠ざかる見込みとなっている。

 岡山では15日午後からは台風一過の晴天となった。写真上は、15日夕刻、西日に照らされて輝くケヤキ。写真中と下は、16日早朝の農学部農場。田んぼもサツマイモ畑も強い日射しを浴びて緑一色に輝いている。



7月15日(日)

【ちょっと思ったこと】

「海の日=7月第3月曜日」は疑問

 7月16日(月)は国民の祝日「海の日」である。ウィキペディアの当該項目によれば、この祝日は
...元々は「海の記念日」という記念日だったが、1996年から国民の祝日「海の日」になった。当初は7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年から7月第3月曜日となった。
ということである。「海の日」という祝日を設けること自体に異存はないが、元々の7月20日ならともかく、その年によって変動の大きい7月第3月曜日とすることは大いに疑問を感じる。

 ハッピーマンデー制度のもとでは、7月第3月曜日が最も早いのは7月15日、最も遅いのは7月21日ということになる。制度を導入した2003年の第三月曜は7月21日であったので最も遅い日にあたっていた。その後2004年から1〜2日ずつ早まって2007年は2番目に早い7月16日となった。なお来年は閏年なので2日ずれ、結果的に最も早い7月15日ではなく最も遅い7月21日に逆戻り。海の日が7月15日となるのは現制度が変わらない限りは2013年になる。

 一番の問題は、7月15日から7月21日というのは、ちょうど各地の梅雨明けの時期に前後していて、数日のズレが当日の天候状態を大きく左右することにある。こちらの資料によれば、梅雨明けの平年値は、九州南部では7月13日、近畿地方で7月19日、中国、東海、関東甲信地方で7月20日などとなっている。つまり、海の日あるいは土日を含めた3連休を利用したイベントや旅行を計画しても、大雨で中止となるリスクがかなり高いということになる。じっさい今年の3連休は、1〜2日目は台風による大雨や強風でイベントどころではなかった。3日目の海の日当日(7月15日)も、中国地方では午後から雨の降るところがあるという。

 どうせハッピーマンデー制度を適用するなら、7月第4月曜もしくは8月第1月曜という手もあったはず。子どもたちはすでに夏休みに入っていて有り難みが薄いが、家族旅行には最適であるはず。

【思ったこと】
_70715(日)[日記]日記才人閉鎖で思ったこと(1)日記才人の名称

 長年お世話になっていた日記才人(ニッキサイト)が7月14日の午前中にとうとう閉鎖された。

 ウィキペディアの該当項目では翌日朝までに

●日記才人(にっきさいと)とは、2001年から2007年にかけて存在したWeb日記のリンク集。

と過去形に書き換えられ(←というか、私の記憶では、つい先日まで「日記才人」という項目は存在していなかった)、
...運営資金はオーナー個人の持ち出し、運営自体は元は登録者だったボランティアのプログラマーたち、という自主独立した形で日本のネット社会の草創期を飾った「日記才人」(日記猿人)はその使命を終えて終焉した。 2007年7月14日稼働停止。
という文章で締めくくられている。なお、私自身の昨日の日記にも追記したが、「運営資金はオーナー個人の持ち出し」というのはどうやら2004年くらいまでのことで、その後のサーバーは管理人のdaisuke氏が、「がある仕事に対してお金をもらう代わりにサーバーを貸してくれと頼んで某社に貸してもらったサーバー」であったとのこと。この点は、ウィキペディアの該当項目にも追記しておいたほうが良いと思う(←あの項目って、誰が執筆したのだろう?)。

 ところで、ウィキペディアの該当項目には、日記才人の名称に関わる次のような記述もある。
...前身である日記猿人が名称の問題で紛糾していたおり、システムやインターフェイスのを一新すると同時に名称の変更をしようという提案が運営陣からあり、公募した結果、「日記才人」と決定した。「才人」は「さいじん」ではなく、「さいと」と読み、siteとひっかけている(オフ会などでは参加者はしばしば「さいじん」とも呼ぶが)。長年使ってなじみのあった「日記猿人」からの改名は、一部古参Web日記執筆者の脱退という結果も招いた。
 この記述のうち、「日記猿人」の名称変更に関しては、当時の資料(ブラウザによっては、日本語自動選択にエンコードする必要あり)、龍成くんの資料及びそこにリンクされている関連コンテンツに詳しく記されているのでここではそれ以上言及しない。

 但し、「一部古参Web日記執筆者の脱退という結果も招いたという記述部分、あるいは、龍成くんの資料にある、
この頃にはこの名称変更に反対していた日記達が続々と離脱していた。どうも遠藤さんの熱血ぶりに中ったのではないかと思われる。(この新名称に関する紛糾はいずれ詳しく…)
という記述に関しては、私自身は、改名反対を理由に脱退した「古参Web日記執筆者」は、あったとしてもごく少数、それも、強硬に反対して脱退したというよりは、「改名を機に、この世界から卒業します」という程度の理由で離脱したのではないかと推測している。じっさい、私自身が提供している資料を見ても、改名直後の2001年1月、あるいはそれより数ヶ月前の期間において、「続々と離脱」という現象を裏付ける証拠は残っていない。毎月の登録日記の一覧ファイルは今でもローカルに保存してあるので、そのうちヒマがあれば(←たぶん定年退職後になるだろうが)、この時期に、どのくらいの数の「古参Web日記執筆者」が離脱したのか、調べてみたいと思っている。

 なお、最期の管理人のdaisuke氏は、ご自身の回想の中で
...日記才人改名の時はまだ俺がリーダーシップは取ってなかったし、俺は最後まで日記才人という名前には反対だった。

投票で新名称を決める事すら反対してた。でも俺が参加する前の時代のしがらみで、変更せざるをえない状況だったから変更しただけ。だから日記猿人の名前のほうがよかったのに、「敢えて日記猿人じゃなくて日記才人」なんて俺に言わないでくれ。俺もずっっとそう思ってたわ。
と述べておられる。私自身は確か、改名候補の中では「日記原人」を推奨していたと記憶している。

 この話題、土日を中心に時々、連載していく予定。