じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 6月15日早朝の田んぼ。サギたちが餌をあさっていた。

 6月14日に「梅雨入り」が発表された岡山ではあるが、初日の雨量は10ミリ、15日の0時台に1ミリの雨量を記録しただけで、15日朝には朝日が差し込むようになった。

 ちなみに一年中で最も日の出時刻が早いのは、6月22日の夏至より一週間ほど前の今の時期。岡山では6月5日〜6月21日頃が4時51分台で最も早い(夏至の日の日の出は4時52分)。日の出が最も遅いのは夏至の一週間後あたりで19時21分台となる。


6月14日(木)

【思ったこと】
_70614(木)[心理]膨張する“セカンドライフ”の世界

 人間・植物関係学会関連の連載のため先延ばしになってしまったが、6月11日に放送されたNHKクローズアップ現代「膨張する“もう一つの世界”について感想を記しておくことにしたい。

 番組サイトにあるように、最近、インターネット上の「仮想世界」で自分の「分身」を操り、買い物をしたり、事業を興して金儲けをする人々が急増し、今や参加者の総数は世界全体で650万人を数えているという。いまや「Second Life」という概念は、老後の生活ではなく、仮想世界の中での「多元化する自己」を意味するようになってしまった。

 番組では、「分身」を通じて隠れた「自分」を発見し新たな生きがいを見出している人や、土地を開発して得た莫大な「賃貸収入」を換金して生計を立てている人などが紹介されていた(←長谷川の記憶に基づくため不確か)。また、ネットで検索したところ、こちらにかなり詳しい紹介があった。

 私自身はそのような仮想世界に時間を費やす余裕が全く無く、また、かつては子どもが小さかった頃は一緒になってRPGゲームに熱中したことがあり、万が一にでもそういう世界に足を入れたら、そのままハマりこんで、身を持ち崩す危険がきわめて大きいようにも思えた。そんなこともあってこの話題に深入りするつもりはない。一言居士的に感じたことをいくつか述べておくにとどめておきたい。




 この種の「仮想世界」には、良い面と悪い面があると思う。

 まず悪い面として考えられるのは、仮想世界に熱中するあまり、現実世界での適応が困難になり、引きこもりに陥ってしまうことはないだろうかという点。いくらセカンドライフだと言ったところで、一人の人間が1日に使える時間は24時間ポッキリであることに変わりはなく、増えも減りもしない。仮想世界にのめり込む時間が1時間、2時間、3時間、....というように増えて行けば、現実世界に関わる時間は、その分確実に減っていく。現実の環境に能動的に働きかけ、汗水垂らして努力し、社会に貢献し、努力の質と量に応じた成果を得るという、日常生活の基本が損なわれてしまうのではないかという危惧がある。

 「仮想世界」によって奪われるのは物理的な時間ばかりではない。それに関わる時間に比例して、「仮想世界用の脳」が形成され、現実世界について考えをめぐらす機会を侵食していく。地球温暖化、世界各地で起こっているテロや武力衝突、身の回りで起こる犯罪事件、大地震、...などに無頓着になっていく恐れはないのか。

 番組では仮想世界で得た収入を換金して生計を立てている人が紹介されていたが、これはかなり特殊な事例であろうと思う。娯楽性がある限りは、一般のゲーム制作者と同じように収入を得ることはアリだと思うが、所詮は何も生産しない世界である。誰もが不動産取引のようなもので大儲けできるとは思えない。参加者が増えることが前提となっているような儲けというのは、要するに、ネズミ講と同じでいつかは破綻する。




 いっぽう、この種の仮想世界にも「良い面」はあると思う。

 まず、何だかんだと言っても、我々の人生は1回限り、80年程度の長さであって、やり直しはきかない。現実世界には様々なしがらみや制約があって、自分の能力を発揮できる機会はきわめて限られている。それを取っ払って、新たな可能性にチャレンジし、隠れていた能力を引き出すことはできるかもしれない。

 もともと現実感というのは、対象が実際に存在しているかどうかではなく、対象にどれだけ関われるか、関わった結果がどれだけ成果となって返ってくるのかに依存している(=これが、行動随伴性の本質)。何らかの事情により将来の夢が果たせなかった人、病気や高齢化による体力の衰えで現実世界との関わりが希薄化している人に、現実では叶えられなかった達成感を与えてくれる可能性はあると思う。

 早い話、宗教も(フィクションの)小説も映画もみな仮想世界に過ぎない。我々が住んでいる現実世界にしたところで、真の客観世界ではなく、「客観世界」との関わりの中で社会的に構成された世界であると言えないこともない。仮想世界の危険性を論じる際には、今回話題の「セカンドライフ」に限定するのではなく、仮想世界一般の功罪として広く言及していく必要があるのではないかと思う。