じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 5月20日付けの楽天版じぶん更新日記にヒナギキョウの写真を掲載したが、その後、白花のヒナギキョウを発見! この周辺で数株以上あることを確認した。

 地面の草花は というように、新たな「発見」の宝庫である。学術的には殆ど価値の無い「発見」であっても、自分で見つけた時の喜びは大きい。

 



5月21日(月)

【思ったこと】
_70521(月)[心理]付加的随伴性、自然随伴性、ビルトイン随伴性、行動内在的随伴性

 5月19日の日記で、ピーター・フランクル「過程を楽しむ人生」に関連して、
ひとくちに「結果」と言っても、
  1. その行動自体に伴って生じる結果(ジョギングを例にとれば、体を動かすこと自体に伴う結果)
  2. その行動によって自然に得られる結果(ジョギングの最中に目に入ってくる風景)
  3. 第三者によって付加される結果(毎朝ジョギングを続けていて立派ですねえ、といった第三者からの賞賛)
  4. 手段として遂行した場合の成果(マラソン大会での記録向上、体脂肪減少など)
というようにいろいろなタイプがある。
と書いた。これたの区別は、行動分析学で言われる「付加的随伴性」、「自然随伴性」、「行動内在的随伴性(ビルトイン随伴性)」などの区別と対応させたつもりあるが、厳密に考えると議論すべき点もあり、また、誤解されやすいところでもある。

 そもそも、「行動内在的」という表現は、『行動分析学入門』(杉山・島宗・佐藤・マロット・マロット、1998、産業図書)で採用されている呼び方であって、行動分析学の中でかならずしも定着した概念とは言い難い。マロット自身、旧版では「ビルトイン随伴性」と呼んでいたし、マロットの著作の別の場所、あるいはスキナーの著書の中では「自然随伴性」という言葉が使われており、「行動内在的」との違いは必ずしも明確ではない。

 さらに、こちらの小論でも考察したように、「行動内在的」を取り違えると、
  • なぜテーマパークに行くのですか? 面白いからです。
  • なぜ授業に出ないのですか? つまらないからです。
というような循環論に陥ってしまう。

 「内在的」というのは、「面白い」、「楽しい」、「つまらない」といった「身体の状態についての報告」ではなく、あくまで、「皮膚の内部で生じた同定可能で、ある程度操作可能な変化」として捉えるべきであろう。また、「自然随伴性」と言った場合は、皮膚の内部か外部かに関わらず、とにかく、放っておいても自然にくっついてくる随伴性のことを呼ぶ、と考えればよいのではないかと思う。

 最初に挙げたジョギングを例にとれば、
  1. ジョギングを例にとれば、体を動かすこと自体に伴って生じる筋肉の変化や感覚刺激のフィードバック→「行動内在的随伴性」であり「自然随伴性」
  2. ジョギングの最中に目に入ってくる風景→「行動内在的」ではない「自然随伴性」
というようになるかと思う。

 ここで重要な点は、「内在的」とか「自然」といえども、ある程度の制御や実験的検証ができるということだ。

 例えば、足首にサポーターを巻いたり、筋トレ用の「重し」をつけたりすることで、「筋肉の動きがもたらす感覚刺激」の質や量をコントロールすることができる(←「重し」をつけること自体は、結果の付加ではない)。

 「ジョギングの最中に目に入ってくる風景」がジョギングを強化しているかどうか、ということは、例えば、その風景が見えない夜間に走ったり、別のコースを走る行動が同じ程度に維持できるかどうかを実験することで確認が可能である。

 ちなみに私自身の場合、早朝の散歩は、冬期であれば星空、夏期であれば日の出前後の美しい風景によって、かなりの程度で強化されていると言ってよい。また、夕食後の夫婦の散歩は、散歩の途中で出合うネコたちによって強化されている部分が大きかった。ところが最近、なぜかネコが出てこなくなり、このままでは夕食後の散歩が消去されかねない状況に陥っている。

 なお、行動は、結果(好子)の質ばかりでなく、随伴の仕方によっても大きく影響を受ける。これは「強化スケジュール」として十分に研究されている。平均すれば同じ頻度であっても、結果がランダムに伴なった時のほうが強化されやすい(流星群やオーロラなどの自然現象、釣りや狩りなど、ギャンブル一般などなど)。