じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 岡大・本部棟前に「出現」した、ガザニアのお花畑。実際は、2〜3畳程度の広さの花壇なのだが、アングルを変えて撮影すると、後ろの樹木まで一面に花が咲いているように見えてしまう。



5月17日(木)

【ちょっと思ったこと】

人身事故の厳罰化

 各種報道によれば、「自動車運転過失致死傷罪」の創設を盛り込んだ改正刑法が17日の衆院本会議で可決、成立した。改正刑法は6月上旬にも施行される予定。

 最高刑が懲役20年となっている危険運転致死傷罪が実証困難のため適用されにくく、業務上過失致死傷罪が適用された場合の最高刑が懲役5年と軽すぎ、被害者や被害者遺族から厳罰化の声が上がっていたことが、今回の改正の背景の1つになっているとのことであった。今回の改正により、最高刑は懲役7年になる。

 こうした厳罰化は、被害者遺族の感情に配慮したという点では望ましいことであると思うが、最高刑の刑期が懲役5年から7年に延びたという程度で、改正と言えるのかどうかは疑問である。

 いっぽう、行動分析的な観点から言えば、人身事故を防止するためには、行動が引き起こした結果の重さを罰するのではなく、そういう行動に至るプロセス自体を改善する必要がある。つまり、飲酒運転をした場合には、事故を引き起こしたかどうかに関わらず、厳罰化することがまず先決である。また、望ましくない行動が起こった時には100%罰するという取り組みも必要。いま以上に、取り締まりを強化する必要があるだろう。

 このほか、時たま、パトカーの追跡を振り切ろうとして信号無視、あげくのはてに死亡事故を引き起こすなどという事件を耳にするが、あの場合は、「信号無視をすれば人を殺す可能性がある」ということを十分に予見できるはずなので、殺人罪を適用すべきであると思う。また、そういう殺人行為を未然に防ぐため、逃走車のタイヤに発砲するなどの措置をとることもあってよいと思う。

【思ったこと】
_70517(木)[心理]他者の体験の情報的価値(3)他者の情報の信頼性と利用可能性

 5月14日の日記で、
 他者の体験がそっくり自分自身に適用できるかどうかは、一般には
  1. 「やってみて良かったこと」にどれだけの普遍性があるか。
  2. 話題提供者と自分自身の間にどれだけの共通性があるのか。
にかかっている。
と述べたが、これに関して言い足りなかったことをいくつか補足しておきたい。

 まず、他者の体験談であれ、それ以外の情報であれ、それを利用して、自分でも何か新しいことを始めようとするからには、それなりのコストやリスクが伴う。具体的には、
  1. その情報を採用して新しいことを始める際に、どれだけの金銭的、時間的コストがかかるか?
  2. その情報を採用したことによって失われるものはないか?
  3. その情報が間違っていた場合に、どのようなリスクが発生するか?
などによって、自分自身に適用するかどうかの判断が変わってくる。

 例えば、どこぞの店で1000円の美味しいランチを食べた、というような情報は、仮に間違っていたとしても、金銭的損失は1000円、時間的にも1時間程度の無駄で済む。

 いっぽう、1泊2万円のホテル、20万円の海外ツアー、200万円の自家用車、2000万円のマンション、...というように、コストが高くなればなるほど、情報の信頼性を疑い、関連情報をたくさん集めるようになる。

 ここで言いたいことは、他者からの情報を採用するにあたっては、その情報自体の信頼性に関わるクリティカルシンキングとは別に、コストやリスクについての正確な判断が求められるということである。

 宝くじ当選者が語る「当たるコツ」のようなものは、数学的には全く根拠が無い迷信行動であると言ってよい。にも関わらず真似てみようという人が出てくるのは、宝くじの購入コストがそれほど高額でないためである。

 少し前に、健康被害をおこすダイエット用食品(例えばこちらの情報参照)のことが問題になったが、あの場合は、単に

●当該食品のダイエット効果についての情報は信頼できるか

という「クリシン」に加えて、それを摂取しても本当に安全なんだろうか、とうい別の観点の「クリシン」が必要であった。


 次回に続く。