じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 日だまりで見つけた芝桜の花。国公立大受験生の「サクラサク」は3月上旬になる。


2月16日(金)

【思ったこと】
_70216(金)[心理]今年の卒論(3)

 今年度の卒論感想の最終回。テーマの選び方や視点について感じたことを、メモ代わりに感想を記している。
  • 楽観性、悲観性
    中村ら(2000)が作成した楽観主義尺度、外山・桜井(2001)の個人楽観主義項目などと、内的あるいは外的自己効力館、ポジティブ・イリュージョン、ネガティブ情報回避尺度などを測定し、共分散構造分析でパスモデルを作成するという試み。
    測定された範囲での因果性は理解できたが、うーむ、ターゲットとしている楽観性や悲観性というのはもう少し複雑な構造になっているように思う。
    例えば、当人がどのくらい先のことまで関心を持っているのかという違い。「いまを楽しく生きればそれでよい」という人と、「10年以内に宝くじを当てて大金持ちになる」と信じている人はいずれも「楽観的」だが、将来についての関心度が異なっている。
    高齢になればまた別の問題が起こってくるだろう。90歳の人にとって、20年後、30年先まで生きるということは現実的ではないが、その場合も、「いまを楽しく生きればよい。病気になった時のことは、なってから考えればよい。」という生き方と、「じぶんは不老不死だ。必ず120歳まで生きる」という人では楽観性の中味が異なる。
    もう1つ、個々の出来事に対しての楽観的・悲観的な評価というのは、それ自体の評価ばかりでなく、その出来事を入れ子構造で捉えるかどうかによっても変わってくるように思う。例えば、模擬テストで40点しかとれなかった場合、その得点自体についての楽観的、悲観的な評価があるほか、ずっと先の本番入試と関連づけて、「これは自分にとって試練である」と考えるか「もうダメだ」と諦めるかという別の時間レベルの楽観・悲観がある。さらには、仮に本番入試で不合格になっても、「自分の人生には別の道がある」と考えるか、「自分はもうダメだ」と考えるかによって、先の生き方は変わってくる。このあたりのことは、こちらの論文で取り上げたことがあった。
  • 部分的幸福感と全体的幸福感
    欧米と異なり、日本では生活満足度と幸福感は必ずしも一致していないと言われている。そこで、日常生活をいくつかの領域に分け、それぞれの領域における「部分的幸福感」が全体的幸福感とどのように関連するのかを調べたという研究。
    共分散構造分析を用いた研究はそれ自体よくまとまっていると思ったが、うーむ、大学生を対象とした研究でどこまで、「日本人は」ということが言えるのだろうか。
    自宅生か下宿・アパート生かによっても違いはあるだろうが、いずれにせよ、大学生の日常生活領域というのは仮住まいであって、人生の通過点にすぎない。大学生活が安住の地になってしまったら決して大物にはなれない。もちろん、大学生ならではという幸福感も多々あるとは思うが、とにかく、欧米と日本を比較するための対象として大学生が妥当なサンプルであったかどうかは疑問が残る。
 今年度の心理学関係の卒論研究は全部で16編、このうち私が指導教員となったものが5編、副査として査読したものが7編、残り4編は、試問時に提出されたレジュメのみでコメントした。今年度は、質問紙調査に基づく量的研究の増大が顕著に増えている。これは一昨年までと比べて、指導教員の構成が変化したことによるものと思われる。コンパクトでそつのない研究が多い反面、モデルの比較や、相関研究に終わっているものも多く、何が発見されたのか、現実世界にどう役立てるのかという部分が少々弱いようにも見受けられる。もっともこれは、心理学研究全体の問題かもしれない。