じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 2月12日(月)朝の月と木星(写真中央やや上)とアンタレス(月の左上)。梅の花を前景に撮影を試みたが、月が明るすぎること、金網の柵の上で固定してもなおブレてしまったことなどから、失敗に終わった。


2月11日(日)

【思ったこと】
_70211(日)[心理]サステイナビリティ学連携研究機構公開シンポ(7)「環境問題のウソ」と人類に求められる慎ましさ

 2月3日に東大・安田講堂で行われた表記のシンポの参加感想の7回目。

 3番目はGarry Brewer(ゲリー・ブルーワー)・イエール大学教授による

●未来を創る:持続性へのシナリオ構築

という講演であった。ここでは、国際的な合意形成に向けての問題点、コミュニケーションの重要性、シナリオ構築が説かれていたが、中でも印象に残った言葉は

●Problems are Human Constructions----Not "Objective Realities"

ということであった。2月6日の日記でも述べたが、地球環境をとりまく諸問題というのは、現実に直面する物理現象ではなく 、人類の全体的な合意と、それに基づいて望ましい行動をどのように維持・強化するのかという問題である。




 さてここで、HoriucciさんのWeb日記「MADE IN JAPAN!(2/8付け)で

ちくまプリマー新書029、池田清彦著、「環境問題のウソ」、ISBN4-480-68730-0

という本に言及されていたのでちょっと脱線してみたい。私自身はこの本をまだ拝読していないので直接のコメントは差し控えたい。ネットでは、かつてマイナスイオンの問題(←そういや、これも、あの「あるある」だった)などでリンクさせていただいたことのある、安井至氏が

「環境問題のウソ」のウソ

というコンテンツでコメントを寄せておられる。素人の私には分からない部分も多いが、
池田先生のような人が、日本にあるたった3冊(ロンボルグ、薬師院、渡辺各著)の特殊な温暖化ウソ論の本だけを読んで、しかも、それらの本が根拠としているデータを自ら検証することもなく、さらに、そのデータの多くが2001年以前のものであるという状況を十分に調査もしないでこんな本を書くのは、やはり商業主義的出版業に毒されたとしか思えない。
という部分と、
この表現がこの本の結論として出ることには同意しがたい。ここで行われている地球温暖化の記述に関しては、正義かどうかという以前に、正しいか、正しくないかという点で問題だからだ。
という安井至氏の御指摘はまさにその通りだと思う。この点について、当の池田氏はどう反論されているのだろうか。

 このほかネットで検索したところ、増田耕一氏からもこちらのようなコメントが寄せられていることが分かった。

 一般論として私は、いかなる主張や「正義」も一度は疑ってみるべきだと思うし、クリティカルシンキングの視点から多面的に捉えることが大切であろうと思っている。しかし、いかなる行動も、現実世界に某かの影響を及ぼすことは確かであり、行動を起こすさいに何よりも求められるのは、環境世界全体に対する慎ましさではないかと考えている。

 安井氏御指摘のように、『環境問題のウソ』は「正しいか、正しくないか」というレベルですでに問題がある。しかし、仮に「正しいか、正しくないか」に決着がつかない段階にあったとしても、環境問題への取組は、人間行動に関わる「態度の問題」として議論することができると私は思う。

 干潟の干拓にしても、ダム建設にしても、あるいは、ゴミの投棄、化石燃料の大量消費の問題にしても、その影響の有無を純粋に科学的に検討する限りにおいては、必ず、肯定・否定両方の見解が生まれてくるものである。そういう場合にどちらの道を選ぶかと言えば、原則はあくまで「慎ましさを忘れないこと」、「目先の利益にとらわれないこと」であろう。「影響が小さいならOK」ではなく、「影響の大小にかかわらず、できる限り控え目に、慎ましく」を選ぶことである。

 次回に続く。