じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

「岡大湖」(←グラウンドの水たまりを私が勝手にこう呼んでいる)の結氷。今年は暖冬傾向が続き、1月に入って最低気温がマイナスとなったのは1月9日と11日の2回だけであった。ちなみに1月29日の最低気温は0.4度。「岡大湖」については11月21日の日記参照。


1月29日(月)

【思ったこと】
_70129(月)[心理]スーツケース1つの老後を目ざす(3)思い出の品は電子媒体で残す

 「スーツケース1つ」というのは特定の哲学や宗教に基づくものではなく、ある種のライフスタイルのようなものである。昨日の日記に、“「スーツケース1つ」という発想は決して、世捨て人になって放浪の旅に出ろという意味ではない。むしろ、その人をモノの束縛から解き放ち、アクティブな人生を切り開く可能性だってある。”と書いたように、このライフスタイルによって約束される人生は多種多様である。例えば
  • 冬は沖縄や小笠原、夏は北海道や信州の高原で暮らす
  • 大都会のワンルームマンションと山村地帯の別荘を行き来する
  • 1年に数回以上、海外旅行に出かける


 その一方、こういうライフスタイルでは否定されてしまう生き方もある。例えば
  • 本の山に囲まれ読書に耽る
  • レトロな家具や装身具に囲まれて暮らす
  • 庭いじりに没頭する
  • コレクター
などなど。




 もっとも最近では、電子媒体でかなりの情報を蓄積できるようになった。このところずっと更新をサボっているが、私の子どもの頃の写真などは、スキャナで読み込んで画像ファイル化しておけば十分。プリント写真と違って劣化することはない。最近ではデジカメで写真を撮るので、もはや大型のアルバム台紙など不要。ちなみに私が2006年に撮影した写真は7399枚、総サイズは4.08GBとなっている。これから先20年間、同じペースで写真を撮り続けたとしても総サイズは80GB。この程度ならポータブルHDDひとつで保管でき、いとも簡単にスーツケースに収まる。

 いっぱんにモノをなかなか捨てられない理由としては
  1. 思い出の品
  2. 高い値段で買った
  3. そのうち使えるかもしれない
  4. そのうち高く売れるかもしれない
などが挙げられるかと思うが、このうち1.については電子媒体で代替可能であればできるだけそうしたほうがスッキリしてよいかと思う。

 例えば、自分の子どもが小さかった頃に着ていた服やオモチャ類などで、子ども自身はもう要らないといっているのに、子離れできずにとっておきたがる親が居るが、デジカメで撮影しておくだけでも「懐かしさ」は十分に残すことができる。

 そもそも「懐かしさ」というのはモノそのものの価値ではない。モノが発する刺激に対する個人の反応がすべてなのであり、モノと同等の刺激が保障されるのであれば、わざわざ現物を残しておく必要はない。

 次回に続く。