じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



1月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真]
センター試験恒例の受験生応援風景。母校の後輩に向けて種々のメッセージが書き込まれているが、なかには、「奇を信じろ!」とか「最後まで行で慎重に!」(写真左下)といった漢字ミスも散見された。受験生が惑わされなければいいのだが。


1月19日(金)

【ちょっと思ったこと】

センター試験始まる

 20〜21日は大学入試センター試験が行われる。わずか2日間の試験だけで将来の可能性が大きく左右されるという現実には批判も多いが、とにかく、これほど公平、かつ、努力の量と質が報われる国家規模の行事は他にはあるまい。

 現行のセンター試験では、地理歴史の6科目の試験が同じ時間枠の中で実施されるため、例えば日本史と世界史の2科目で受験できないといった問題点がある。これが少し前の未履修問題の原因にもなった。

 ところで、こちらにも記されているように、
大学入試センターは,大学入試センター試験の本試験において次の各科目間で,原則として,20 点以上の平均点差が生じ,これが試験問題の難易差に基づくものと認められる場合には,得点調整 を行う。
なお,得点調整の実施の有無については,平成19年1月26日(金)(予定)に発表する。
  1. 地理歴史の「世界史B」,「日本史B」,「地理B」の間
  2. 公民の「現代社会」,「倫理」,「政治・経済」の間
  3. 理科の「物理T」,「化学T」,「生物T」,「地学T」の間
という得点調整の制度があるが、これを実際に適用しても必ずしも公平の保持にはつながらないことに留意する必要がある。というのは、例えば、理系受験生の中には、単に「保険をかける」「試験会場に慣れる」というだけの目的で1時限目の「公民」を受験する者が少なくないと思われるからである。そういう受験者の比率が多ければ当然平均点は下がるが、それは決して試験問題の難易差に基づくものとは言えない。おなじことは地理歴史や理科についても言えるが、理科科目は何の準備もせずに受けても殆ど点がとれないので、得点分布に2つの山ができる可能性がある。

 試験日程を3日間にすればもうすこし受験の機会がふやせるのだろうが、これでは体調を崩す人もでるだろう。受験生が大変になることはもちろんだが、監督者のほうも体が持たず、実施上で重大なミスが起こりやすくなるのは必至であろう。
【思ったこと】
_70119(金)[心理]新年早々に「あの世」を考える(10)老人の存在意義

ひろさちや氏の

●仏教に学ぶ老い方・死に方(新潮社、ISBN4-10-603542-1)

の感想の10回目(実質9回目)。

 第5章では「老人の存在意義」という見出しで、2つの話題が取り上げられている。前半は
  1. 「おばあさん仮説」が示唆するように、ヒトの高齢個体には種全体の存続・繁栄を有利に導くような生物的存在意義がある。
  2. 古代インドには四住期(しじゅうき)という考えがある。まず「学住期」、ついで「家住期」、隠居する時期は「林住期(りんじゅうき)」、それも過ぎると最後は「遊行期」に移行する。「林住期」の老人は孫に宗教教育することが重要な役目となる。宗教教育は父母や学校ではできない。
  3. 父母や世間の物差しにもとづいて「世故に長けた智恵」を教える。いっぽう老人は出世間人間であり、世間の物差しを否定した、もう一つの物差し、つまり宗教教育を担う。
といったように、老人の存在意義と役割について論じられているが、この章までの部分では、宗教養育の中味は示されていない。但し「世間の物差し」とは異なる物差しであることは確かだ。

 以上の部分において、とにかく、祖父母が父母とは異なった物差しで教育を担えるという部分については納得することができる。もっとも、「おばあさん仮説」に示唆されるような生物的存在意義のレベルは、あくまで「世間の物差し」に基づいた補完的役割(若い母親を助けるなど)であるように思えるし、平均寿命がきわめて短い古代インドで、林住期に達するまでに長生きできる人がそんなにたくさん居たとは思えない。つまり、世間の物差しを否定して孫を教育するためには、医療や経済面でそれなりの発展が必要であり、むしろ近代になって初めて、現実に存在意義を示せるようになってきたのではないかという気もする。

 次回に続く。