じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
1月14日の日記に引き続いて、浜松町の世界貿易センタービルからの夜景。展望フロア内の照明がガラスに映って、大都会に来襲したUFOのように見えた。なお、右端のほうに見えている光点は金星。


1月16日(火)

【思ったこと】
_70116(火)[心理]新年早々に「あの世」を考える(7)人間の商品化

ひろさちや氏の

●仏教に学ぶ老い方・死に方(新潮社、ISBN4-10-603542-1)

の感想の7回目(実質6回目)。

 第3章の中頃でひろさちや氏は、

●商品化された人間は「奴隷」になる

と述べておられた。資本主義社会では、人間は「労働力」という商品と見なされ資本家に売買される。その結果、必然的に人間は奴隷にされてしまう。ヨーロッパでは労働者の自由を保障さするためのさまざまな工夫が凝らされているが、奴隷売買の経験の無い日本ではその点が未熟であり、つい最近まで終身雇用(=会社奴隷)が一般化していた。

 ちなみにこの本が刊行されたのは2004年であり、その後さらに競争原理、成果主義、労働裁量制、個人事業主制、あるいは大学における任期制導入...などの改革が進むなかで、終身雇用の仕組みは急激に崩壊しつつある。もっとも、例えば上司から特別に目をかけてもらった時に、それを喜ぶのか、それともあくまで、労働者を公平に取り扱えという原則論に徹するのかによって、その人の労働観は変わってくる。目をかけてもらって喜ぶようであれば、相変わらず奴隷根性から抜け出していないということなのだろう。




 以上の部分についてだが、まず、現代資本主義社会であろうとそれ以外の時代の社会であろうと、人間や動物は、行動随伴性の「絆」(=つまり束縛)から逃れられないという意味で、根源的には自由になれないということを確認しておく必要があるのではないかと思う。行動随伴性の絆とは、要するに、行動(=オペラント行動)が持続するためには何らかの強化が必要であり、また行動が起こりにくくなるには弱化あるいは消去が必要であり、その原理からは逃れられないということである。例えば、報酬を受け取らずに奉仕活動をしている人々であっても、奉仕活動には、「感謝される」「目的を達成する」といった結果が伴う。すべて失敗に終わるような行動であっても「これでよいのだ」と自分に言い聞かせる限りにおいてはそれが強化になりうるのである。であるからして、束縛とか奴隷とか、あるいは自由とかいうのは、行動がどのような随伴性で強化(もしくは弱化)されているのかという、随伴性のタイプによって規定される。資本主義社会では、人為的に配置された随伴性(CM、ブランド、その他、意図的に作り上げられた習得性好子による条件性強化)が個人の行動をコントロールしやすいというだけのことであると私は思う。

 第3章の終わりのほうで、「大阪の商人は、金には頭を下げるけれども、金持ちには頭を下げない」ということが語られているが、これも結局、何が好子(強化子)になっているかという違いではないかという気もする。

 次回に続く。