じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 青い爪のように見えるのはエアプランツの花。コッピー(アカヒレ)の水槽の上に網を張り、その上で育てているが(←撮影のため、テーブルに移動した)、時々水をかけてやる程度で十分に育つ。写真右上の茶色い紐のように見えるのは昨年の花の名残。種で増えるかどうか不明だが、とにかくこの1年で2倍に成長した。


7月5日(水)

【思ったこと】
_60705(水)[教育]大学教員個人評価=健康診断論

 7月6日〜7日に行われるFD関係のセミナー参加のため上京。今回のテーマは、「教育組織と教員組織の分離〜」や「教員評価の処遇への反映」といった、管理運営面に関わる内容となっている。

 このうち、「教員個人評価の処遇への反映」は私の大学でも話題になっているところである。個人評価は、研究活動、教育活動、地域貢献、管理運営への貢献など多面的に行われるが、私が特に関与しているのは教育活動面の評価である。その中には、学生による授業評価アンケートの結果を処遇にどう扱うかといった問題も含まれている。

 そもそも学生による授業評価アンケートは、大学教育の質を保ち、さらなる改善を目的として行われるものである。2005年3月27日の日記にも述べたように、これには、消費者メタファー(顧客としての学生の満足度を保つ)、製品メタファー(社会に対して卒業生の質を保証する)という葛藤がある。授業評価アンケートは、基本的には「顧客満足度」を測るものと言えるが、同時に、授業の進め方についての率直な指摘を受け、それらを成績分布、カリキュラム全体の中での位置づけ、検定試験などへの効果などを総合的に比較検討すれば、製品メタファー面での改善にも役立てることができるわけだ。




 しかし、こうした授業評価アンケートの結果を教員の処遇に反映させることが適切であるかどうかについては議論が多い。極端なケースとして、例えば、

●この授業全体に対するあなたの評価を総合的に5段階で表して下さい。
   良い  5・・・4・・・3・・・2・・・1  悪い

というようなアンケート結果で、平均評点が3.0から4.0に上がったら、月給を1万円アップするというような処遇は妥当であろうか。

 いちばん心配されるのは、数値だけが一人歩きしてしまうと、担当教員はもっぱら、顧客満足度だけを重視した授業を行ってしまう恐れがあるということだ。

 受講生側に明確な達成目標があり、外部検定試験等で成果が確実に測れるものであればそれでもよかろう。例えば、自動車学校の実技指導教員の場合、受講生は、免許をちゃんと取れるように指導してくれる教員を選ぶだろう。いくら、優しくてオモロイ教員であっても、免許が取れなければ授業料は無駄となる。

 その一方、一定の単位を揃えれば認定されるというような場合、授業レベルをどう設定するのかは担当教員の裁量に任される。そういうところで顧客満足度を重視すれば、当然レベルは下がる。しかし、低レベルの授業で単位を乱発していれば、いずれ、そのコース、ひいてはその大学の卒業生は、信頼を失うことになりかねない。




 現時点で私が考えているのは「個人評価=健康診断論」である。5段階評定型の授業評価アンケートについて言えば、
  • 平均評点が3.0以上の場合は、とりあえずそれで良しとする。あとは、内容面、つまり質的な向上を重視する。
  • 平均評点が3.0未満の場合は、健康診断で言えば「要精密検査」である。原因がはっきりしていて、かつ、その理由が説明可能なものであれば、数値が低くても構わない。しかし、原因究明をせずに3.0未満を放置しておくのは怠慢だ。


 健康診断で悪い結果が出たからといって給料が下がるわけではない。授業評価アンケートの場合も、まずは、当該教員へのサポートが大切である。その体制がしっかりできていれば、大学全体としての「教育の質保証」は十分に保てるはずだ。反面、数値が一人歩きして給与に反映させたところで、「金より研究時間が欲しい」と考える教員は手抜き授業をするかもしれないし、また、人件費リソースが一定のもとで競争原理を導入しても全体の質の向上につながるかどうかは疑問である(←民間企業であれば、競争原理や成果主義のもとで社員それぞれが奮闘すれば会社の総収入は上がるが、同じ大学の中で教員どうしが競争しても大学全体の収入が増えるわけではない。外部研究資金導入なら話は別だけれど)。


 現時点では以上のように考えているところだが、

●「教員評価・人事制度の検証と活用」〜導入・改善状況/業績評価手法/処遇への反映〜

などというテーマのセミナーに参加したあとでは、ひょっとして考えが変わるかもしれない。