じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 楽天版・じぶん更新日記(6/27付)でも取り上げたように、大学構内では今年は、ネジバナ(モジズリ)の当たり年になっているようだ。

 このあたりのネジバナは日当たりのよい芝地に生育しているが、ある程度芝や雑草が密生していて湿気が保てないとうまく育たないように思われる。従って、ネジバナだけを掘り出して鉢植えにしても殖やすことはできない。

 このあたりで花を咲かせるもう1つの要因は、芝刈り(もしくは草刈り)が行われるタイミングによる。この時期に芝刈りが行われるとせっかく伸びた花穂が刈り取られてしまう。今年は雨が多かったため、開花に間に合ったようだ。次回の芝刈りの前にこれらの花が種をつけることができれば、来年はさらに殖えるものと思われる。但し、このエリアには、他に、オオバコ、コメツブツメクサ、カタバミ、タンポポ、ニワゼキショウ、マツバウンラン、ヒナギキョウ、その他イネ科の各種雑草が群生しており、ネジバナがどれだけ開花するかは、最終的にはそれらの植物との競争や共存や共生の条件によって決まってくる。



6月27日(火)

【ちょっと思ったこと】

NHK総合、28日朝は一転して公共放送

 昨日の日記で、6月27日の朝、NHK総合が6時45分までスイス vs ウクライナ戦の中継延長をしたことについて「NHKに公共性を標榜する資格はない」と厳しく批判したところであったが、6月28日朝の5時台は、一転して、定時の「おはよう日本」を放送していた。この時間帯には、スペイン vs フランス戦が行われており、実際、衛星放送では生中継が行われていたはずだ。27日朝のスイス vs ウクライナ戦の時には、NHK総合と衛星放送で同時生中継だったのに、28日朝は衛星放送のみ。まさか、私の批判を受け入れて、総合テレビでの中継を取りやめたというわけでもあるまい。あるいは、スペイン vs フランス戦のほうが放送権料が高くて、総合テレビでは中継できなかったのだろうか。謎である。

【思ったこと】
_60627(火)[心理]資格取得志向はマニュアル世代と自信の無さの反映か

 少し前から大学の公式サイトの中に、長谷川ゼミFAQというコーナーを設置し、少しずつ更新を続けている。このコーナーは、学生や受験生からの種々の問い合わせに答えるために新たに設けたものであるが、その中で最近特に問い合わせが多いのが、資格取得についての質問である。心理学に限ったことではない、文学部の公開説明会でも「どういう資格がとれますか」というような質問がしばしば出されるという。

 こちらの「Q & A」にも書いたことだが、どういう資格を取れるかについて説明する前に、そもそも資格とは何かについてしっかり考えておく必要があると私は思う。そこにもリンクした、ウィキペディアの解説にもあるように、資格は、その効力によって3つに分類することができる。
  1. 業務独占資格:特定の業務に際して、特定の資格を取得しているもののみが従事可能で、資格がなければ、その業務を行うことが禁止されている資格。
  2. 名称独占資格:業務そのものは資格がなくても行うことができるが、資格取得者以外のものにその資格の呼称の利用が禁止される資格。
  3. 必置資格:上記2つのどちらに分類されるかにかかわらず、ある事業を行う際にその企業や事業所に保持者を最低一人、必ず置かなければならないと法律で定められている資格。
但し、上記の3.は1.もしくは2.と重複する場合があり、また、1.の業務独占資格は当然、名称も独占しており、違反すると、重い刑罰が科せられることになる。




 もし、資格志向が1.や3.を対象としたものであるなら、その動機は

●資格を必要とする特定の職業に就くことを強く希望している

もしくは、

●その資格を取得することで、就職を有利に、もしくはより確実にする

というところにあるものと推測できるが、これとは別に、単なる名称独占資格の取得を志向する傾向が高まっているとしたらどういう原因が考えられるだろうか。




 ここから先はあくまで私個人の印象に基づく勝手な推測に過ぎないのだが、まず考えられるのは、マニュアル世代、あるいはTVゲーム攻略本世代の特徴の表れではないかということだ。つまり、主体的・能動的にテーマを見つけて勉学・研究に励むということはひどく苦手だが、マニュアルや攻略本の「こうすれば、こうなる」と書かれてあることは確実に実行できる、という学生が居たとする。名称独占資格を取得するための勉強では、まさに、「こういう授業科目を履修して、こういうふうに申請すれば良い」という道筋がしっかり示されている。もちろん努力は必要だが、選択で迷うことはないし、新しい「ダンジョンの入り口」や「アイテム」を自力で発見する必要も無い。

 もう1つの可能性は、自信の無さの表れではないかということ。もともと大学というところは、そこで学びちゃんと卒業することで「学士」という学位が取得できる教育機関である。

私は、AA大学を卒業しました。在学中は、BBについて学び、CCという体験をしました。私には、DDという長所があり、CCの体験と合わせて、EEという分野で活躍できる自信があります。
という自己アピールがちゃんとできるなら、わざわざ名称独占資格を取得する必要は無かろうと思う。学歴がモノを言う時代は終わったとも言われるが、最近ではむしろ、厳格で多元的な成績評価に基づく大学教育の質の保証が重視されるようになっている。少なくとも、Okayama Universityぐらいのレベルの大学だったら、「そこを卒業しました」ということと、在学中に新たに身につけたことや体験したことをしっかり表明できれば、充分なアピールになるのではないかと思う。

 その一方、
私は、AA大学在学中に、BB、CC、DDという資格をとりました。これらが私の特技です。
とアピールしたところで、「オンリー・ワン」としての自分は何も見えてこない。取った資格の数や種類で自分を特徴づけているだけであって、これでは学歴社会と何ら違いは見えてこない。企業の人事担当者だって、資格ばかりで当人を評価することはあるまいと思うのだが...。




 もちろん、単なる名称独占資格であっても、自分自身の知識や技能の向上のための具体的目標にはなる。独りよがりや自惚れでなく、第三者から客観的に評価してもらうというのは結構なことだとは思う。

 しかし、資格取得は単なる通過点に過ぎない。資格を取得したあとで、それを活かしつつ、主体的・能動的に自分の人生をどう切り開くかという展望が無ければ、けっきょくは、あれもできます、これもできますというだけの器用貧乏に終わってしまうのではないかという気もする。