じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 農場のジャガイモの花が見頃となった。紫色の花は、たぶん「アンデス」という品種で、赤い皮の芋ができる。


5月31日(水)

【思ったこと】
_60531(水)[心理]パチンコ依存症

 夕食時に視たNHKクローズアップ現代で「パチンコ依存症」を取り上げていた。その数は推定で100万人。のめり込んだ挙句に借金を重ね、家族や仕事を失う人も少なくないという。

 番組記録サイトにも記されているが、この種の依存症は
  • 大当たりが出て脳が興奮すると、「コルチゾール」という沈静物質が分泌される。
  • 興奮が続くとコルチゾールの作用が大きくなり、少しの刺激では興奮できなくなる。
  • そのため、より強い刺激を求め、パチンコがやめられなくなる。
というメカニズムで起こるのだそうだ。脳内に起こる変化は研究されている通りだとは思うが、こういう「脳科学モデル」って、「依存症」の予防や治療に役立つものなんだろうか。いま引用した説明だけでは、パチンコで大当たりが出た人はみんなそれにハマってしまうようにも受け取れるし、コルチゾールを抑える薬を開発すれば苦労しなくても依存を断ち切れるように思える。

 少し前の2月22日の日記

「家族介護の4人に1人はうつ病」をどう捉えるか

という話題を取り上げた時に、「精神疾患に関する語彙の蔓延と言説の増大サイクル」という、社会構成主義者ガーゲンの主張を引用したことがあったが、「○○依存症」なんていう概念も、同じようなところがあるんじゃないかなあ。
 精神疾患に関する言説の増大サイクルの最後は、精神疾患に関する語彙のさらなる蔓延の段階である。人々が日々の問題を専門用語で構成し、ますます専門家の助けを求めるようになり、需要に応じて専門家の地位が上がるにつれて、より多くの個人が、日常用語を精神衛生の専門用語に翻訳することができるようになる。
...
 専門的に正当化された精神疾患の言語が社会に広まり、そうした言語によって人々が理解されるようになると、「患者」の数は増大する。一方、一般大衆は、精神疾患に関する語彙を増やし、多くの精神疾患用語を使用することを、専門家に求める。こうして、文化の内部で多くの問題が専門用語によって構成され、多くの専門家の支援が必要とされ、精神疾患の言説が再び増加する。
 ま、そうは言っても、パチンコに極度にハマっている人たちには、まず、そのことが深刻な状態であることに気づかせる必要がある。そういう警告目的で「あなたは病気ですよ」と宣言することは、確立操作(=行動改善プログラムに参加させるための「動機づけ」操作)として意味があることかもしれない。さらには、「病気」と認定することで、保健医療の適用を受けられるというメリットもある。これはニコチン依存も同様。




 番組では、パチンコ依存症を初めとするギャンブル依存に対して、認知行動療法を実施している場面が紹介されていた。「ギャンブル外来」というもの実際にあるという。確かに、離婚や自殺未遂に至るような重症な例では、医療に「依存」して「依存症」を「治療」するほかはないのかもしれないが、もっと初期の段階で、依存を断ち切るためのセルフコントロールに力を入れてもよいのではないかと思った。そう言えば、

Rachlin, H. (2000). The science of self-control. Cambridge, MA: Harvard University Press.

の本の中でも、重度のアルコール依存の事例が取り上げられている。少なくとも私自身には、上に引用したコルチゾールとやらの説明よりも、Rachlinによる行動論的な説明のほうがはるかに分かりやすく、また、改善のために有効なプログラムを提示できているように思える。




 ところで、一口にパチンコ依存の弊害と言っても、お金にかかわる問題と、それ自体に熱中する問題は分けて考えたほうがよいのではないかと思う。

 お金にかかわる問題というのは、パチンコで損をした時に、こんどこそ取り戻そうとして、損失・借金のスパイラルに陥ってしまうような依存形態である。この場合、もはやパチンコそのものは面白くも何ともなく、単にお金を取り戻す手段と化してしまう。例えば、時代劇でよく出てくるサイコロ賭博、宝くじ、さらには、最近はやりのネット株取引などはみな同じような特徴をもっていて、要するに、損得が行動を支配しているのである。

 いっぽう、熱中する行動の中には、行動のスキルが物を言う場合もある。TVゲームに熱中するのは決してお金目当てではない。大物を釣り上げることで「大当たりが出て脳が興奮した」人はますます釣りに熱中するかもしれないし、マラソン大会で優勝して一躍ヒーロー/ヒロインになった人は、なかなか引退できずに、練習にのめり込んでしまうかもしれない。

 少なくともこの2つのタイプでは、セラピーの中味は変わってくるはずだ。「パチンコをすると○○を失い、○○という悪い結果が起こります」と自分に言い聞かせるのは主として前者のタイプに有効。しかしそれだけでは、行動の消去・弱化であって、パチンコに変わる喜びを見出すことができない。そういえば、週末に開催される人間・植物関係学会2006年大会では園芸療法のことも取り上げられるはずだが、もし、パチンコに依存していた人が、園芸活動に興味を持ち、そのことで結果的にパチンコをキレイさっぱりやめてしまうならば、それだけで「園芸療法」は効果があったと言っても間違いではなかろう。パチンコ依存が園芸依存に切り替わり、「園芸依存症」の弊害が出てくるという話はあまり聞かない。その理由は、園芸活動は、じっくり待って初めて成果が得られるものだからである。パチンコの場合はその日の運で大当たりが出るが、園芸活動は、いくら精魂込めて苗を育てても、花が咲くのは何ヶ月かあとのこと、その間に自分をみつめるゆとりが生まれるから、重度の依存には陥らないのである。