じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 妻の実家の庭のクレマチス。毎年、5月の連休が見頃となっている。


5月6日(土)

【思ったこと】
_60506(土)[一般]スポーツ選手の競技生活引退

 5月7日朝のNHKニュースによれば、トリノ冬季五輪・女子フィギュア金メダリストの荒川静香氏が、競技の第一線から引退し、今後は芸術性を重視した活動に力を注ぐ見込みであるという(←長谷川の聞き取りのため不確か)。

 五輪後の選択肢はいろいろあったと思うが、報道されたような道を選ばれるとすれば大いに結構なことだと思う。(冬季以外を含めて)五輪選手の中には、次期大会での2連覇や再チャレンジを誓う人もいて、それはそれで立派なことだとは思うが、4年単位でそのことだけのためにすべてを注ぐという人生はあまりにもリスクが大きいように思う。また、人間、いずれは歳をとり、また偶発的な怪我に遭ったりして、どんなに努力してもメダルに手が届かなくなる時が来る。右下がりの衰えに必死に抵抗する努力も素晴らしいとは思うが、右上がりが期待できる別の領域に活躍の場を移すというのもあってよいことだと思う。




 スポーツ競技の中には、物理的に測定可能な結果によって評価されるものと、演技のプロセス全体が評価されるものがある。例えば、走り幅跳びではどんなスタイルで飛ぼうと、とにかく遠くまで飛ぶことがすべて。各種競走の場合も、走り方のスタイルではなくとにかく速く走るということが重視される。もちろん、好記録が達成された時のスタイルには洗練された美しさがあるが、あくまで目標達成のための手段としての位置づけを抜け出ることはない。いっぽう、フィギュアスケートのような場合は、演技全体の美しさに注目が集まる。スコアを上げるためには難易度の高い技を含める必要があるが、観客は何も曲芸技だけを期待して会場に足を運ぶわけではない。だからこそ、メダルを争わないエキシビションでも人を集めることができるのである。このあたりは、物理的な記録で評価される競技とは大きく異なっているようだ。じっさい、100メートル競走のエキシビションなどやっても、記録が出なければ観客は満足しないだろう。

 けっきょく、相対評価のもとで結果の優劣を争うスポーツであればあるほど、引退のプレッシャーは大きく、また引退後の生活は大きく変わらざるを得ないという特徴をもつように思われる。いっぽう、フィギュアスケートの場合は、得点を争う競技という以外に芸術性という側面が大きいため、競技の第一線から引退しても、非常に近い領域においてさらに技を磨くことができるのだろう。そういう意味では、荒川静香さんの「引退」は、右下がりの衰えを意識した引退とは性格を全く異にしていると言えよう。