じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
大学構内で見かけたツクシ。春到来のシンボルでもあるが、スギナの繁殖はかなり迷惑。


3月19日(日)

【ちょっと思ったこと】

平成教育2006予備校の背番号問題

 夕食時に視た「平成教育2006予備校」に面白い問題があった(3/20現在では、こちらから閲覧可能)。  元の問題は栄光学園中学入試問題、以下、問題の要点だけを記す。
  1. 10人の選手が手を繋いで輪を作る。
  2. それぞれの選手の背番号は、両隣の選手の背番号の平均値。
  3. 全員異なる番号をつけることは可能か?
 正解と解説もこちらから閲覧可能(期間限定?)なのでここには記さないが、私が気になったのは、「全員異なる番号をつけることは可能か?」という問題設定の部分である。仮に上記1.と2.の条件だけで番号をつけることを考えた場合、
  • 「両隣の選手の背番号の平均値」という条件が満たされるのは、両隣とも自分と同じ番号であるか、もしくは、両隣が自分と異なる番号であるか、どちらか。
  • 両隣が自分と異なる番号である場合、どちらか一方は自分より多い番号でなければならない。
  • 10人の背番号のなかには、必ず最大値が存在する(但し、同点首位のケースを含む)。
  • 最大値の背番号をもつ人の両隣は自分と同じ番号でなければならない。自分より大きい番号を持った人がいるというのは、自分が最大値であることに反するから。
  • よって、すべての背番号は最大値と同じになるので、全員同じ番号でなければ条件2.は成り立たない。
 ということで、「両隣の選手の背番号の平均値」という条件を満たすためには、「すべての選手が同じ番号」でなければならない。「全員異なる番号をつけることは可能か?」という問題と、「全員同じ番号になることを証明せよ」という問題と、どっちが難易度が高いのだろう?





WBCをトップで取り上げたNHKは立派

 3月19日午後は、雑用をこなしながら

2006ワールドベースボールクラシック「準決勝」 韓国×日本

の生中継を観た。この試合の模様は、岡山では山陽放送(TBS系)で放送されていたが、雨で中断したこともあって、9回裏の韓国の攻撃の時は、ゴルフ中継画面に小窓を作って、音声抜きの映像だけが伝えられていた。民放としてはよくやったと思うが、やはり小窓では迫力に欠けた。

 それはそれとして、19日の19時台のNHKニュースでこのことをトップニュースで取り上げたのは、なかなか立派だと思う。たかがスポーツとは言え、先日のトリノオリンピック不振で自信を失っていた日本にとっては久々の快挙。放送権が他局にあるスポーツイベントをこれだけ大々的に取り上げたのは珍しい。

 さて、決勝のキューバ戦だが、今度は日テレ系が中継をやるらしい。NHKがどういう取り上げ方をするか注目しておきたい。

【思ったこと】
_60319(日)[一般]二宮金次郎

 DVDに録画しておいたNHK「その時歴史が動いた二宮金次郎」(2005年9月14日放送。2006年3月15日にアンコール放送)をやっと視ることができた。

 二宮金次郎というと、「働きながら勉強をしている少年」というイメージが強いが、番組冒頭で言われていたように、いつどこで何をした人なのかということは意外に知られていない。私自身もいくつか誤解をしていたようだ。

 まず、そのお名前と小田原に関係があるということから、私は、二宮金次郎は神奈川県二宮町にゆかりのある人かと思っていたが、町の歴史を拝見する限りは関係なさそう。実際に関係があったのは、栃木県二宮町のほうだった。

 次に、二宮尊徳という人は勤勉と節約の象徴かと思っていたが、番組を視て、
  • 労働のプロセスを公正かつ多元的に評価し報償を与える(村人の仕事ぶりを見て回り、木の根しか撤去できない、周りの村人から馬鹿にされていた老人に15両もの褒美を与え、逆に他の村人より3倍近く働いている若者を厳しく叱った。
  • 自らの体験に基づく科学的な分析力
  • プロジェクト遂行における実行力、説得力、リーダーシップ
  • 持続可能な使命共同体づくり
など、我々が学ぶべき多くの点のあることが分かった。




 さて私にとって長年疑問であったのは、明治以降になぜ各地の小学校で金次郎像が作られたのか? という点であった。番組によれば、これには幸田露伴の『二宮尊徳翁』(明治24年)の挿絵が大きく貢献していた。

 昭和初期、天災が相次ぎ農村不況が続くなかで復興の願いを込めた金次郎が全国の村々で自発的に作られ、さらに終戦後、GHQから新生日本の手本にすべき人物であると再評価、「金次郎は日本の生んだ最大の民主主義者である」と称えられ、戦後日本の札第一号の顔となった。国定教科書で修身の象徴として描かれていた人物が、GHQによって絶賛されるというのは極めて珍しいのではないかと思う。

 ウィキペディアによれば、
像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をすると交通安全上問題があることから、1970年代以降、校舎の立替時などに徐々に撤去され、像の数は減少傾向にある。
とか。実際私も子どもの頃から、薪を背負ったまま本を読むと目が悪くなるし、速く歩けないので非効率的、あれは、急いで薪を運んだあとで本を読むべきだなどと好き勝手なことを口にした記憶がある。といって、あれに代わる象徴的な姿というのはなかなか浮かばない。