じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真] 夕日に照らされるイチョウ。少し前までは、花の写真ばかり撮っていたが、歳のせいだろうか、最近は、すっかり葉が落ちた樹木や、夕日が当たる瞬間の光と影のコントラストに目を向けるようになった。


2月14日(火)

【思ったこと】
_60214(火)[一般]相対評価人生、絶対評価人生、オンリーワン人生

 毎日、トリノオリンピックのニュースが伝えられているが、それを聞くたびに、オリンピックというのは最後は相対評価で決まる世界なんだなあ、とつくづく思う。

 いくらベストを尽くしたとしても、自分よりスコアの高い選手が居るか居ないかによって、金メダルがとれることもあれば、銅メダルを逃すこともある。対戦型の競技の場合はもっとはっきりしていて、相手が居なければ勝つことも負けることもできない。もちろんどのケースでも最高水準に到達するまでの努力のプロセスは不可欠であるが、最後はライバルとの競い合いであり、相対評価の結果いかんで「栄誉」とも「敗退」とも言われてしまうのだから残酷なものである。

 同じ競技の中でも、100m競走や走り幅跳びのように物理的な物差しが使える場合には、いくらか、相対評価の運・不運感を解消することができる。といっても、「世界記録樹立」というのは、過去の記録保持者との比較で決まるので絶対評価とは言えない。比較の対象が、ローカルな世界(その大会に出場した人限定)から、過去の公式大会出場者すべてに広げられただけのことにすぎない。

 ここで、相対評価が良いとか悪いとか言うつもりはない。スポーツ競技というのはそういう宿命にあるということを指摘したまでにすぎない。




 「相対」と言えば、受験生がいちばん気になる偏差値、各大学の難易度、合格可能性などはすべて相対評価の産物である。

 もっともそういうことが気になるのは合否ラインすれすれの受験生に限られる。センター試験で90%や95%の得点を取れるように勉強しようと思ったら、目先の偏差値などどうでもよくなる。

 また、考えてみれば、偏差値というのも相対評価のように見えて、じつは、その人の学力を絶対的に評価するための目安として利用されることのほうが多い。例えば、500点満点の模擬試験で、1回目に400点、2回目に420点をとった場合、絶対評価とは素点のこと、相対評価とは偏差値のことだと思われがちであるが、じつはテストというのはその時その時で難易度に違いがある。学力の絶対評価が求められる場合は、素点よりも偏差値のほうが信頼性が高いと言ってよいだろう。




 山登りを趣味とする人にとって、例えば富士山に登るという行動は、登頂の喜びによって満たされる。登るときの体験を質的に評価することはオンリーワン人生であって、絶対的評価、相対的評価のいずれでもない。富士山に100回登るというような自己目標を立てることも同様だ。

 いっぽう、富士登山マラソンに参加して優勝をめざすとか、登頂回数の最高記録に挑戦するということになると、同じ登山でもこれは相対評価、絶対評価の世界に入っていく。




 とにかく、何がよい何が悪いということではない。必要なことは、自分の人生はどういう結果によって強化されているのか、それは絶対評価なのか、相対評価なのか、それともオンリーワンの質的評価なのかをちゃんと知ることである。