じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] コニファー・ゴールドクレストとメタセコイヤ。同じ円錐形ながら、このところの寒さですっかり葉を落としたメタセコイヤ(中央、建物の手前)と、ますます勢いを増すゴールドクレスト(写真右側の黄緑色の木。低い木が右端にもう一本ある)。ゴールドクレストは、かつて鉢植えから移したもので、2004年10月20日の台風23号の強風でいったん横倒しになったが、ロープで引っ張って何とか元に戻った。なお、濃い緑の針葉樹はカイヅカイブキ。


12月19日(月)

【ちょっと思ったこと】

閏年の法的根拠

 少し前に購入した『天文年鑑2006年版』(誠文堂新光社)の巻頭言「2006年の主な天文現象」(執筆者:相馬充氏)の冒頭に
西暦2006年は平成18年で, 明治139年, 大正95年, 昭和81年にあたる. 神武天皇即位紀元では2666年になる. 神武紀元という非科学的なものを科学書に載せることに批判の声もあるが, どの年が閏年になるのかを定める勅令(明治31年勅令第90号)が「神武天皇即位紀元数」を基準にしているため, この年数がわからないと法的には今年が平年か閏年かを判断できないのである.
と書かれてあるのが目に留まった。手元にあった2005年版を見ると、やはり似たような文言
ここで, 「神武紀元数」という反動的な文言を嫌う向きもあるが, 現行のわが国の太陽暦採用を布告する明治5年11月9日の詔勅(勅令第90号)と, それに続くグレゴリオ歴の置閏法を説明する太政官布告にも明記されている.
があった。2004年版は2005年版とほぼ同一。

 ここで、「勅令第90号」が、2005年版までは明治5年、2006年版で明治31年になっていることが疑問となったのでネットで検索したところ、こよみのページに詳しい解説があり、明治5年に出されたのは天保暦から太陽暦への改暦を定めた太政官達第三百三十七号という現在も有効な詔書。そしてそれを具体的に実行に移すための太政官布告:
一、
  今般太陰暦ヲ廃シ、太陽暦御頒行相成候ニ付、来ル十二月三日ヲ以テ、明治六年一月一日ト定メラレ候事、
 但、新暦鏤板出来次第、頒布候事。

一、
一箇年三百六十五日、十二箇月ニ分チ、四年毎ニ一日ノ閏ヲ置キ候事。
【以下略】
で、4年に一度の閏年設定に法的根拠が与えられた。

 もしこれだけで済むならば、神武天皇即位紀元年数を持ち出す必要は全くない。ところが、この規定では、「西暦が4で割れ、かつ100で割り切れない年を閏年とするが、400で割り切れる年も閏年とする。」というグレゴリウス暦(グレゴリオ暦)を取り入れていない誤りに、西暦1900年が目前に迫った時になって初めて気づく。そこで、明治31年(西暦1898年)に
勅令第九十号
神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ベキ年ヲ閏年トス。但シ、紀元年数ヨリ六百六十ヲ減ジテ百ヲ以テ整除シ得ベキモノノ中、更ニ、四ヲ以テ其数ヲ整除シ得ザル年ハ平年トス
として、西暦1900年がじつは閏年ではないということに対処した。この有効性が未だに続いているという次第であるようだ。




 天文学的には分かり切っているのに、それだけでは法的根拠とならないものとしては、閏年のほかに、春分の日や秋分の日を挙げることができる。こちらの解説にもあるように、春分の日や秋分の日は、
国立天文台が作成する暦象年表という小冊子に基づき、閣議で決定され、これが官報によって公報されることによって正式に決まります。官報に載る時期は2月の最初。ここに翌年の春分の日・秋分の日が記載されます。
 このほか法制執務コラム集というところにも、さらに詳しい解説があった。

 もっとも国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の解説にあるように、春分の日や秋分の日は、天文学的な春分日、秋分日を祝う目的で設定されたものではない。土日を含む三連休になりやすいように、それぞれの年で1日くらいずらしても、設定の趣旨を損ねることにはならないようにも思えるのだが。