じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  晩秋の岡大農場と半田山。2001年12月4日の写真にあるように、この風景は、蒜山高原を思い出させるところがある。



12月5日(月)

【ちょっと思ったこと】

頭がチーズだったから

 夕食後、NHK福祉ネットワーク「NHK福祉ネットワークを視た。この日は、第40回NHK障害福祉賞で最優秀賞を受賞した

●頭がチーズだったから(杉田知代子さん)

の紹介であった。番組の終わりのほうには、御本人が直接登場されたほか、中学時代にお世話になりその後の将来を切り開いてくれた英語の先生との再会場面などもあって、たいへん感動的であった。

 番組紹介にもあるように、杉田さんには脳性マヒとLD(学習障害)がある。中学時代にヒドイいじめを受けたが、英語の先生の適切な対応によりこれを解決、さらに、唯一得意とする英語の猛勉強を続け、英語教育を重視している大学に合格(←この時は、「人は嬉しくても泣くのだ」ということを初めて知ったという)、現在は電機メーカーのサービス課で、英語マニュアルの作成や、英文メイルでの応対にあたっているという。

 最優秀賞を受賞されたのは、おそらく、いじめ克服をめぐる恩師の英語の先生のエピソード、その後の大学受験などの努力を綴った内容が評価されたものと思うが、私自身は仕事柄、杉田さんの学習障害の特徴がどういうところにあるのかという点に強い関心を持った。

 番組で伝えられた限りの情報によれば、杉田さんは、英語を英語として理解することを得意としているが、英語を日本語に訳すことは苦手であるという。学校英語では英文和訳がかなりの配点となるので、かなり苦労されたことと思う。

 日本語の文章は、指で押さえていないと読めない。日本語の新聞を週に一度まとめて読むそうだが、気がついたら暗くなっていたということもあるとか。今回の手記も、ある日の夕方に書き始め、書き終えて気がついたら翌日の夜になっていたというからスゴイ。日本語が苦手というよりも、日本語を読むと過度に言語脳が活性化し、思いが拡散して負担になるということなのかもしれない。

 では、なぜ英語ならOKなのだろうか。1つは、非母語であるために脳に負担をかけないという可能性。第2に、英語では、まず「何がどうした」という主文が先にあって、あとから修飾や詳細情報が付け加わる。何でもかんでも前のほうに前提をつけてから最後に結論部分を言う日本語より、スキーマがつかみやすいという利点があるという可能性。このほか、杉田さんの場合、どうやら右脳で英語を処理しているらしいということも示唆されるが、番組から伝えられた情報だけでは何とも言えない。

 その一方、杉田さんの場合、仕事で使う書類を番号順に並べるということが非常に苦手だということであった。

 12月3日の日記でアインシュタインについて書いたところ、ある読者の方から、アインシュタインの学習障害について情報をいただいたことがあったが、アインシュタイン同様、杉田さんの場合も、得意なところをうまく伸ばせたことが現在の成功につながっているように見えた。今後のご活躍に期待したい。

※杉田さん開設のWebサイト「ちーちゃんのれんらくちょう」はこちら




ぼんれいではなかった

 夕食時に視た「ネプリーグ」という番組の中で「凡例」の読みを答えさせる問題があった。私は、「ぼんれい」だと思っていたが、正解は、「はんれい」だった。人生五十余年、誤読していることに一度も気づかなかったのは不思議である。

 「凡例」(←確かに、ATOKで「ぼんれい」と入力すると「はんれい」の誤読であると表示される)というのは「辞書の凡例」などというように結構よく見かける言葉のはずなのだが、他者との会話の中で使うことは全くなく、誤読を指摘される機会が無かったものと思う。このほか、凡例の「凡」は「平凡」の「凡」であること、「はんれい」は「反例」や「判例」と区別がつきにくいことなどが誤読に気づかなかった原因ではないかと思われる。