じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 農学部玄関の雌雄の楷の木が紅葉を始めた。昨年は台風23号のためにオスの木の枝が折れてさんざんな目にあったが、今年は何とか復旧した。オスの木(写真左)と、実をつけているメスの木(写真右)では、紅葉のしかたがゼンゼン違う。


11月7日(月)

【ちょっと思ったこと】

某申請書は何故なかなか“書けん”のか?

 昨日の日記に記したように、11月7日朝は、Web日記を執筆する代わりに某申請書の仕上げ作業に専念した。朝6時半から8時頃というのは、私の日課の中ではいちばん執筆意欲旺盛な時間帯であり、その習慣のおかげでスラスラと筆が進み8時半頃にはほぼ完成。大学で金額など若干の手直しをした上で、印刷、コピー、糊付けを済ませ、本部棟の窓口で無事に提出することができた。本部棟を出た時には、中高時代の期末試験を終えた時に似た「心地よい脱力感」というか、とにかく、達成感を伴わない解放感のような、妙な気分になった。

 この入力作業に取りかかったのは10月下旬、事務窓口から命じられた締切は11月2日、それを11月4日に延ばしてもらったものの結局完成できず、土日の悪戦苦闘を経て7日(月)の午前中にやっと提出に漕ぎ着けることができたのである。大学構内で知り合いの先生にバッタリ会った時などに「、「長谷川さんは毎日Web日記を書いているから、あのくらいの文章ならスラスラ書けるでしょう」と言われたことがあるが、うーむ、Web日記と申請書では書く心構えがゼンゼン違う。たぶん、申請書というのは書くことを求められる文章の中で、私が最も苦手とするジャンルになるのではないかと思う。

 ではどういう点がなかなか「書けん」のか?

 まず第一に、私は正直者であるが故に、使う予定の無いような経費は申請できない。しかしそれでは十分な研究費が確保できない。それと、あれは昔から疑問に思っているのだが、例えば、200万の申請を出して100万円しか認められなくても不平を言う人はあまり居ない。しかし、200万円で申請するというのは「ゼッタイに200万円貰えないと研究できない」という必要最低限の経費を申請しているはずで、それが100万円に削られた時には「これでは責任をもって研究を遂行できない」と辞退するのがスジであろう。にもかかわらず100万円でもいいと了承してしまうということは、最初から減額を見込んで、水増しで申請していたことにはならないのか。このあたり、私の信条とは相容れないところがある。

 第二に、来年度の研究計画なら具体的に書けるとしても、2年目以降はそんなに具体化できるものではない。1年目の結果をみた上でなければ、2年目がどう展開するのか分からない。といって、へりくだって成果が期待できないようなことを書くと採択の可能性は低くなるばかり。つまり、本来は批判的思考で多面的に論じるべき部分を、あたかもそれが約束された成果であるかのように盛り立てて書かなければならない。半面ウソは書けない。そのバランスが難しいのである。

 ま、そうは言っても、これからはこの種の競争的資金を獲得していかないとやっていけない時代である。私の個人研究費残額は10月の時点ですでに10万円を割っている。このままでは、卒論・修論生の実験機具も満足に揃えられない。