じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] [今日の写真] 岡山国体の開催に合わせて、近くの運動公園の池で丹頂の飼育展示が行われると聞き、さっそく見物に行った。大学から自転車で10分以内の近場なので、その気になればいつでも行かれる。

 写真右は、大学構内・座主川でよく見かけるアオサギ。こちらの鳥のほうはあまり注目されていない。



10月19日(水)

【思ったこと】
_51019(水)[心理]社会構成主義と心理学の新しいかたち(10)進路選択と社会構成主義的発想

 大学入試まで4カ月あまりとなったせいだろうか、最近私のところにも進路相談のメイルが送られてくることがある。その多くは、「○○心理学について学びたいのですが...」というような内容である。そういう積極性があることは大いに結構だとは思うが、私が若干疑問に思うのは、

○○心理学について学びたい

という強い希望を持つためには、○○心理学とはどういうものであるかを事前に知っておかなければならないはず。つまり、先に学ぶという行為がなければ、学ぶことの意義は理解できないという矛盾に陥る。

 あくまで「援用」というレベルにとどまるが、Gergen(1994、翻訳書6頁)には、上記の疑問とよく似た次のような表明がなされている。
「知識は個人の頭の中にある」ことを前提にして、知識の獲得について研究しようとする試みには、矛盾がある。というのは、一方では、そのような研究は、われわれが知識を獲得するプロセスやメカニズムを知らないことを前提にしているからだ。だからこそ、それを知ろう、研究しようということになる。ところが、他方では、研究しようとすること自体、すでに、どうすれば知識を獲得できるか(すなわち、知識を獲得するプロセスやメカニズム)を知っていることをも意味している。 .....【中略】..... そもそも、知識を得るために研究するということは、知識獲得プロセスについての知識をもっていること(「知ること」を知っていること)を前提にしているのだ。この矛盾をかわすために、心理学は、知識の獲得プロセスという人間の重要な機能を研究する必要性を主張する一方で、研究自体の正当性は外部から調達してきた。すなわち、心理学は、研究の正当性を、他の学問領域-----より確実で説得力のある論証をする学問領域-----に求めてきた。
 つまり、ある専門領域について学ぶことに意義があると確信するためには、その領域のことをすでに知っていなければならない。しかし、学ぶ前から学ぶ内容を知っているはずがないのでこれは矛盾する。その矛盾をかわすためには、学ぶことの正当性を、その専門領域の外から調達しなければならないと言うことができる。

 では、大学入試を受ける前の受験生は、何によって正当性を調達するのだろう。
  • 1つは信頼できる人(先生、両親など)からのアドバイス
  • 2つめは確かな情報源(大学のWebサイトもそういう情報源の1つとして期待される)
  • 3つめは確かなところからの評価(大学ランキングなども利用される)
  • 4つめは、その領域を学んで卒業していった人たちが、社会でどういう活躍をしているのかといった情報
であろう。

 よく、「それはどんなことをする学問ですか」と訊く代わりに「それを学んだら何になれますか」と訊く人がいる。これはいっけん打算的で資格志向のようにも見えるが、実は、その学問を学ぶことの正当性を外部から調達しようとしているのだ、とみることもできる。




 いったん進路を選択してのちにそれを変更する人が居る(かくいう私も、大学入学後に転学部した一人である)。もっとあとになって、転職したり離婚・再婚したりする人が居る。これも「援用」というレベルにとどまるが、Gergen(1994、翻訳書9頁以下)には、こういう進路変更が何によってもたらされるのかを考えるヒントが記されているように思う。
  • 中核的命題群(intelligibility nucleus)が理解され説得的になるためには、外部の事象との結びつきは必要ではない。
  • 中核的命題群の形成そのものが、すでにして、その中核的命題群を崩壊させる可能性を懐胎している。
  • クワインによれば、科学理論は、「データによって決定されるもの」ではありえない-----この点については、次章で詳しく論じよう。また、クーンによれば、科学革命は、いかなる意味においても、仮説検証ルールの系統的適用によって生じるのではない。(翻訳書16頁)
 1つの仕事に打ち込んでいる人たち、あるいは、結婚生活を何十年も続けている人たちにintelligibility nucleusなるものがあるのかどうかは分からないが、この発想はけっこう似ているように思う。要するに、転職も、離婚・再婚も、人生観における大きなパラダイムシフトであるからだ。