じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] イチョウ並木のギンナンが金色に輝く季節となった。昨年は相次いで来襲した台風のせいで、熟する前に殆どが落下してしまった。今年はその分、実のつきかたが多いように見える。


9月26日(月)

【ちょっと思ったこと】

藤堂高虎

 DVDハードディスクに録画しておいたNHKその時歴史が動いた「第234回 戦国 出世の方程式〜藤堂高虎 大坂夏の陣の大勝負〜(9/21放送)をやっと見終えることができた。

 藤堂高虎は生涯で10人の主君に仕え、足軽から最後は32万石の大名にまでのぼりつめ、しかも安定した地位を確保した。このほか、自分だけの専門性(=築城技術)を身につけるなど、現代の実力主義の時代にも通用する出世術に長けた人物として紹介されていた。

 主君を変える際に、過去の業績の証明書として役に立ったのが「感状(いくさの現場で、目付の客観的な武功評価に基づいて主君から出される感謝状)」であった。いつの世でもそうだが、体制が固まらない変動の時代にあっては、実力の客観的な評価が大きく物を言う。

 体制が固まってしまうと、その体制を維持するために儒教的な倫理観が重んじられるようになる。徳川長期政権の始まりとなった大阪夏の陣では高虎は部下を犠牲にして忠誠心を示すことで子々孫々に至る孫安定した地位を確保した。けっきょくのところ、それぞれの時代の特性に見合った思想や倫理観があり、それを着実に実践した者はその時代の勝者となるということか。

 番組で紹介された家訓の中には、今の世を生き抜く知恵が満載されているとは思う。しかし、高虎の成功には多くの偶然的要因(=幸運)が含まれていたことも確かだ。早い話、足軽の時に、たまたま強い敵と戦って討ち死にすることだったあり得た。成功談というのはどれもそうだと思うが、成功の必要条件、それも成功者が気づいている範囲での必要条件を述べたものにすぎないのであって、成功の十分条件を満たしているわけではない。戦国時代にはおそらく、高虎と同じような考えを持った足軽が何百人も居たはずだ。しかし、それらの人々は途中で偶然的要因(=不運)に巻き込まれて消え去っていったのである。

 余談だが、日記読みのリンク先にあった藤堂高虎逸話集はなかなか興味深い。中でも、二通りの縄張図のエピソードは、本当かどうかは別として、たいへん参考になる。何かの上申をする時なども、1通りの案では提案者の押しつけのような印象を与えてしまうが、2通りの案を持っていけば、裁定者は、自分の能動的判断により決したものと錯覚してしまう次第だ。そう言えば、競争入札や仕様策定などでも、本命業者の案と別に、明らかに手抜きでゼッタイに認められそうもないような対案が形式的に提出され比較検討されることがあると聞く。