じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  ブルーキャッツアイ(オタカンサス)。行きつけの花屋で買った苗を鉢植えで育てた。8月から花を咲かせているが、本来の開花期は10〜11月。そのせいか、秋になって勢いがよくなってきた。


9月16日(金)

【ちょっと思ったこと】

ロビンソンクルーソーの小屋

 9月17日の朝日新聞朝刊に「『ロビンソン・クルーソーの小屋』発見!」という記事があった。ロビンソン・クルーソー自体はダニエル・デフォーの1719年発表の小説の主人公であるが、そのモデルは、スコットランドの船乗り、アレクサンダー・セルカーク(1676〜1721)であると言われている。探検家の高橋大輔さんらが、南米チリ沖合の「ロビンソン・クルーソー島」の中で、高台の住居跡を発見したというのが今回の記事の内容であった。

 さっそくネットで検索したところ、こちらに、高橋大輔さんご自身のWebサイトが見つかった。御著書の紹介もあった。

 ところで、無人島でのサバイバル体験に関しては、少し前、テレビチャンピオン:無人島王選手権 生き抜く方法すべて教えます決戦というのを視たことがあった。あの時にも思ったが、いまや無人島といっても、人間が作ったゴミが大量に流れ着いている。無人島でサバイバルするというのは、その島に自然をいかに活かすかということより、流れ着いたゴミをどう活用するかがポイントとなるというのは、なんだか夢が無いように感じた。

【思ったこと】
_50916(金)[心理]日本心理学会第69回大会(7)Well-beingを目指す社会心理学(2)羞恥心の起源と機能(続き)

 日本心理学会第69回大会の参加感想の7回目。

 昨日に引き続き

【9月11日 午後】CP02 Well-beingを目指す社会心理学

の中の
●菅原健介氏の話題提供:羞恥心と対人不安

について感想を述べさせていただく。




 まず、「集団や他者から拒否されないよう、羞恥心という警戒システムを備えている」についての追記。昨日も取り上げたアダルトビデオを借り出す男性の例で言えば、街中の普通のレンタル店でアダルトビデオを借り出すというのはかなりの羞恥心を伴う行為であると思う。なぜなら、そのレンタル店の利用客の多くは普通のビデオを借りだしている。その中で自分だけが「特殊な」ビデオを借り出すというのは、集団からはみ出すことにつながる恐れがあるからだ。

 もっとも集団といっても多種多様である。仮にアダルトビデオ専門のレンタル店があったとすると、その店に入るときと出るときは羞恥心を伴うだろうが、店の中にはそういうビデオを愛好する人たちばかりが集まっている。となると逆に「集団への一体感」を感じることになるかもしれない。

 別の例になるが、私の住むアパートの前には小さな広場があるが、そこのベンチに座って真夜中に大きな声でおしゃべりをしているカップルを見かけることがある。真夜中ということもあって、会話の内容はアパート住民には筒抜けである。みんなに聞こえてもどうして恥ずかしくないのだろうと不思議に思うほどであるが、おそらく彼らにとってアパートの住人は自分たちの所属する集団とは無縁。最初から集団にあれば所属欲求など起こりえない、よって羞恥心も感じない、と考えることができる。




 さて、Well-beingとの関連で羞恥心を考えるにあたっては、以上に述べたことのほか、
  1. 行動する前に感じる「恥ずかしさ」
  2. 「恥をかいたこと」への後悔
という2点が重要ではないかと思う。

 1.の「恥ずかしさ」、大勢の人の前で話をしたり演奏をしたりする場合の緊張感を表現、これがはたして、何かをして失敗した時の恥ずかしさと同じものかどうかは私には分からない。英語の「shame」は1.のような場面で使われるのだろうか。

 但し、何度か重大な失敗を体験した人は、次回にも同じ「しくじり」をするのではないかと「あがってしまう」ことが多い。そのいっぽう、場数を踏めば、1.のような恥ずかしさはたいがい克服できるものである。演説に慣れている政治家などは、聴衆が100人であろうが1万人であろうが人の前で話をすることに関して恥ずかしいと感じることはないだろう。

 次に2.であるが、羞恥心のWell-beingへの悪影響は、かいた恥の大きさではなく、恥をかいたことをダラダラと後悔し前向きに方向転換できないことのほうにあるように思う。恥をかくまいとして過度に緊張するよりは、かいてしまった恥をどう処理するかということのほうが大切であろう。

 ということで次回に続く。