じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 東大医学部・鉄門記念講堂のフロアから眺める後楽園、新宿方面(9/8撮影)。ちなみに「鉄門」というのは龍岡門の通称のようだ。ウィキペディアに解説あり。そうか、「鉄門倶楽部」というのは、新日鐵の互助組織か、どこかの鉄道同好会かと思っていたが、東大医学部の同窓会のことだったのか。


9月9日(金)

【思ったこと】
_50909(金)[心理]日本質的心理学会第2回大会(2)ジャーナリストの経験と方法に学ぶ

 日本質的心理学会第2回大会の感想の2回目。この日の夕刻には

●<K6>ジャーナリストの経験と方法に学ぶ―中村梧郎さんをお招きして―

という準備委員会企画シンポジウムが開催された。昨日のArthur W. Frank博士の講演に関連してちょうど
しょせん、文字で表されることには限界がある。毎日の行動やそこで生じるさまざまな感情のうち、文字で表現できる部分というのはごく限られたものに過ぎない。
という感想を述べたところでもあった。これに対して、フォトジャーナリストの場合は、文字は写真を補うものとなる。研究の表現手段について考えようと思っていたところでもあり、質的心理学において、映像という表現手段がどういう意義をもつのかを考えるための貴重なヒントをいただくことができた。

 シンポでは企画者の説明に続いて、中村さんご自身がベトナムで撮影された何枚かの写真が紹介された。大部分は、アメリカ軍が大量に散布した枯れ葉剤(agent orange、枯れ葉剤を貯蔵したドラム缶をオレンジ色に塗ったことに由来)による人体被害に関わるものであり、日本でもよく知られているベトくん、ドクくんの写真も含まれていた。

 枯れ葉剤はそれ自体は有害ではないが、不純物として猛毒のダイオキシンが含まれており、これを浴びた現地の人々の間で流産、二重胎児やさまざまな奇形が多発した。そのこと自体は私もある程度知っていたが、すでにベトナム戦争が終わって30年、もはや過去の出来事として受け止めてしまいがちであった。

 しかし、枯れ葉剤は今なお多くの人々を苦しめている。1つは、さまざまな障害を背負って生まれてきた子どもたちの人生である。中村さんが25〜30年前に撮影した少年少女や生まれたばかりの子どもたちのうちある者は撮影後まもなく死亡、ある者は障害を背負って生き抜いてきたが、ダイオキシンの影響がじわりじわりと脳を冒し今では寝たきりとなっている者もいる。また、重い障害を背負いつつ結婚して子どもを産んだ人たちもいるが、その子どもの中から次の世代の障害児が生まれたりしている。最近のベトナムというと経済発展が著しく、世界第二のコーヒー輸出国、このほかベトナム最高峰登頂ツアーまで企画募集されるようになったが、その陰ではいまだ後遺障害に苦しんでいる人がたくさん居るのだ。

 少し前の日記で、小野田寛郎さんの29年間について書かせていただいたことがあったが(9月6日の日記ほか参照)、小野田さんの場合はフィリピン・ルバング島での体験を自ら語ることができ、我々もそれを拝聴する機会に恵まれている。しかし、枯れ葉剤の後遺障害に30年間苦しんだ人、あるいは亡くなられた方は、自らを語る機会さえ与えられていない。ジャーナリストが動かなければ、過去の出来事として葬り去られてしまう恐れさえある。

 枯れ葉剤のもう1つの被害は、当時実際に散布を行ったり、散布された地域で戦闘に参加したアメリカや韓国の兵士の間にも癌などの被害が出てきたことである。このうち、アメリカ人だけは国家の補償を受けることができるが、韓国人元兵士やベトナム人への補償は「因果関係の証拠無し」として却下されているという。




 さて、この学会シンポの目的から言えば、上記の被害そのものをどうするかではなく、中村さんがどのような形で調査し、またそれをどのような表現手段で発表していくのかということがむしろ本題であった。調査方法、撮影方法に関しては、
  • 聞き取りに際しては、初めから何かを予期・予測して質問を固定せず、「現実はどうなのか?」と、虚心に聞く態度。
  • ポケットに入るくらいの小さなノート。水に強い紙。油性ボールペン。
  • その地域の言葉を片言でもいいから知っておく。
  • お土産は、その地域で必要とされる生活必需品がいい。
  • 最初から写真は撮らない。いろいろ交流したあとで、じゃあ最後に一枚という感じ。
  • 撮影された人があとからその写真を受け取った時にイヤだなあという思われないような写真。このことによって、例えば10年後の再会が可能となる。
  • 悲惨さを過度に強調しない。強調しすぎると逆に、中程度・軽度の被害を否定する証拠として加害者側に悪用される恐れがある(→水俣病など)。
といった点が参考になった。

 中村さんの撮った写真はあくまで一次資料であるが、それがどのような意味を持つのかについては、新聞の切り抜きなど膨大な資料と付き合わせながら再点検していく作業が必要である。例えば、ダイオキシンの有害性について何が指摘されていたのか。これは、文字で書かれた内容ばかりなく、その新聞記事が一面にあったのか、見出しの活字の大きさはどうであったのか、写真つきであったのかなども知っておく必要がある。そういう意味では、テキストベースだけの資料では不十分。




 指定討論者の方も指摘しておられたように、質的心理学者に比べるとジャーナリストのほうが「扱う資料」、「主張の範囲」、「多様な表現手段」といった点で、はるかに幅の広い活動をしていると言える。情緒に訴えるというのも質的心理学者とは異なる点だ。もっとも、「理性に訴える部分」と「情緒に訴える部分」というのはバランスが大切であり、早い話、ジャーナリスト自身が情緒的な表現を多用すると受け手は逆に白けてしまう。なお、昨今流行の社会構成主義的立場からみれば、ジャーナリストと質的心理学との境界はそれほど明確では無くなってきたとも言える(←社会構成主義については別の機会にまとめて見解を述べたいと思っている)。

 私自身からも最後に質問させていただいたことであるが、「写真で伝える」ということにインパクトがあるのは、その1枚の写真だけに重要な意味があるためでは決してない。見る者それぞれにおいて、中村さんが撮影した1枚の写真は、見る側が過去に体験した様々な日常風景、あるいは999枚、9999枚の平凡で平和な日常写真と対比させながら見られているのである。要するに、それを見た人がふだん、平凡で見かけ上平和な日常生活を送っているからこそ、中村さんの撮った1枚の写真に、非日常や悲惨さを感じる効果が出てくるのである。

 ということは、フォトジャーナリズムというのは、見かけ上安定した平和な社会において、その内外にある問題性を暴き出して訴えかけるところで本領を発揮するものであり、日常の当たり前の世界の中で行動の法則性をさぐったり建設的な提言をすることは苦手としているのではないか、そんなことを最後に質問させていただいた。問題性を感じたところをフィールドとして選ぶのはご自身の特性でもあるが、ジャーナリズムというのは本来的に権力を監視する役割を担っているというお答えであったと理解した。じつはこのことは、質的心理学研究のフィールドがどこに向かうべきかということとも関連している。このことは、社会構成主義の主張に対する見解と合わせて、別の機会に述べる予定である。