じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 通勤路の途中、農学部農場で見かけたゴマ畑。この畑には他にオクラやトウモロコシが植えられており、日々の成長ぶりを眺めるのが楽しみである。


8月6日(土)

【ちょっと思ったこと】

スペーシャトル見えた(はず?)

 スペースシャトルを肉眼で見ようと、倉敷科学センターの予報にしたがい、いつもの散歩開始より15分ほど早い4時50分頃に外に出て南の空を眺めた。

 空はすでに明るみを増しており、晴れているにもかかわらず、すでに星は見えなくなっていた。こんなに明るい空でも大丈夫だろうかと思いつつ歩いていると、南の空のかなり高い位置に、マイナス2等級の明るい星が輝いていることに気づいた。おや、この時間帯にあんなところに明るい星があったかなあ、火星だろうか? などと思ったが、しばらく眺めていると、この星は実は北方向にゆっくりと動いていることが分かった。

 その動きを追っていると、今度は、南西の空から東の空に向かって、やはりマイナス2等級の光点がかなり早いスピードで通り過ぎていくのが見えた。この光点は真東の高い位置で急に見えにくくなった。

 いっぽう、最初に見つけた明るい光点のほうは、真南からほぼ天頂に向かってゆっくり動いていたが、5時ちょっと過ぎ、天頂からやや北に向かったあたりで突然見えなくなってしまった。

 倉敷科学センターの情報では、ドッキングしていた国際宇宙ステーション(ISS)は、
8 月 7 日
4 時 59 分ごろ南南西の低い空で見え始め, 5 時 1 分ごろ 南東の中ぐらいの高さの空( 48.4 °)でいちばん高くなり, 5 時 4 分ごろ東北東の低空へ動き見えなくなる。
と予報されており、あとから速いスピードで移動してきた光点がISSであることは間違いない。いっぽう最初に見えていた光点は、向きがぴったり南北方向であることに加えて、動きが遅い(つまり、ISSより地球から離れたところを飛んでいる)という点で、別の人工天体であるようにも思える。ではスペースシャトルはどこに行ったのだろうか? 念のため人工衛星の予報を参照してみたが、この時間帯には他に明るい人工天体は現れないようである。関連掲示板に投稿して情報を待ちたいと思う。




無言館の絵が伝えるもの

 8月7日の朝食時にNHKこころの時代〜宗教・人生:「生命(いのち)みつめる絵〜戦場に消えた画学生たち」(再放送)の一部を視た。出演は、無言館館主・窪島誠一郎さん。

 無言館には、画学生たちが戦地に赴く前に描いた最後の絵が多数展示されている。しかしそれらの絵は、反戦平和を目的に描かれたものではない。そこには、現代の若者が失いがちな「生」が描かれているという。

 ネットで検索したところ、こちら(JTのコンテンツ)に、窪島さんの講演録があり、今回語られたことと同じ意味の言葉が記録されていた。
年間11万人が訪れる無言館は「反戦平和の美術館」といわれます。しかし、彼らの絵は反戦平和を目的とした絵ではありません。彼らが遺した絵はまさしく自己表現です。今、自分は確かにここに生きているぞ―という証しです。自らの生命(いのち)の証しを描くにあたって、自分の生命を支えてくれているごく身近な生命を描いた。そこにある濃密な人間関係、自分の生命と他者の生命との絆(きずな)。懐かしい、かけがえのない風景が、彼らの絵の中にはあるのです。
 画学生の中にはすでに結婚していた者や恋人の居たが、その一方、じぶんの姉や妹が同じ世代の唯一の異性であったという者も少なくなかった。また、そういう姉や妹の中には、結果的に未婚のままで生涯を終えた方も多い。画学生にとっても、その姉や妹にとっても、異性のきょうだいは、青春を共有した唯一の異性であったというケースもあったようだ。そういう観点から、一枚一枚の絵を見つめていくと、また違った感慨が生まれてくるかもしれない。