じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 昨日に引き続き、農学部農場の水田に出現した「パラレルワールド」。今回は、同じアングルで昼と夜の様子を写してみた。例によって、いずれも、わざと上下を逆にしてある。夜景の写真では、水面に光の帯が映るため、上下逆さはバレバレ。




6月12日(日)

【思ったこと】
_50612(日)[心理]人と植物の関係を考える(8)これからの課題

 人間・植物関係学会鶴岡大会の参加報告の最終回。

 これまでも何度か述べてきたように、私には、「園芸療法の有効性を実験的に検証する」という研究には限界があるように思えてならない。その理由として、
  1. 「園芸療法」を実施したらこういう効果があった、と言ったところで「園芸療法」の中身はマチマチであって、一般性のある結論を導くことは原理的に不可能。
  2. ダイバージョナルセラピーでもしばしば言われることであるが、セラピーの有効性というのは、個人本位かつ全人的な視点からののアセスメントの中で確認されるべきものである。ある集団に画一的に「療法」を実施して尺度得点の平均値に有意な差があることを示したからといって、それが究極の有効性の究極の検証になるとは限らない。逆に、平均値に有意さが無かったからといって、有効性無しと結論できるわけでもない。
 「園芸療法は有効か」というのは、「結婚は幸せをもたらすか」というのと同様であり、あまりにも「個」をおろそかにしている。同じ年代の既婚者と未婚者を対象に「結婚は幸せをもたらしたか」を調査すれば、何らかの「幸せ尺度」得点の平均値に有意な差が見出せるかもしれない。しかしそれをもって、「誰でも結婚すれば幸せになれる」と結論できるわけではない。個々のケースを調べれば分かることだが、幸せになったケースもあれば、不幸になったケースもあるだろう。要するに、「結婚をしたらどうなる?」というような一般的な問題を立てても生産的な結論は得られない。むしろ、「結婚した」という条件のもとでどういう点に心がければ幸せを持続できるのか、というように問題の立て方を変えるべきである。とにかく、「園芸療法」は医薬品ではない。人間や実験動物に共通した薬理作用が認められるのであれば「平均値の有意差」で有効性を実証できるだろうが、この種のセラピーにそのような万能性を求めること自体に発想の誤りがある。いま挙げた「結婚」の事例と同様、もっと個人本位、全人的な視点から、「どのような園芸活動を展開すれば生きがいに結びつけることが可能か」という研究にエネルギーを注いだほうが、生産的であるように思う。

 6月10日の日記でも述べたように、人と植物との接し方は多種多様である。高齢者施設では、参加者の体力やサポート態勢の制約から、ポット苗の寄せ植え活動が中心となることにはやむを得ない面もあるが、一般的にはもう少し長期的なスパンで植物と関われる機会を増やし、それぞれの参加者の人生との関連づけ、意味づけまでもサポートできるようになれば、より充実した「園芸療法」が確立できるように思われる。花ばかりでなく、花の咲いていない時期の樹木や多年草、さらには、山野草との関わりの機会も増やすべきである。

 ところで、こちらのサイトにも紹介されているように、「人間・植物関係学会認定 園芸療法士資格制度」がいよいよ発足することになったようだ。そのような資格を得た人たちに期待したいことを私なりに挙げてみると
  1. 対象者の健康状態、興味、個性を、正確に把握できること。
  2. 対象者のニーズに合わせて、最善の園芸活動の場を提供し(対象とする植物の選定、環境整備など)、本人の主体性・能動性が奪われないような形で適切にサポートできること。
  3. 園芸活動が続けられなくなった時、あるいは何らかの問題が発生した時に、それを適切に改善できること。
  4. より長期的なスパンで、人生との関連づけ、意味づけをサポートできること。
というようになる。とにかく画一的であってはならない。集団作業自体は、交流を深め連帯感、一体感をもたらす可能性がありよいことだとは思うが、半面、個人個人と植物とのオリジナルの関わりが保証されなければ、単に園芸作業を手伝わされたという程度に終わってしまう恐れがある。

 最後に、以上述べたこととに心理学がどう関わるかという問題であるが、アクティビティのアセスメント、行動環境の改善、心理面でのサポートといった点で、上記の1.〜4.は、いずれも心理学の研究に関連していると言うことができる。