じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 草花火(Talinum calycium、スベリヒユ科タリナム属、夏花火)ともいう。
道ばたでも見かけるハゼランと花の形がよく似ている。


6月2日(木)

【思ったこと】
_50602(木)[心理]人と植物の関係を考える(1)

 人間・植物関係学会の2005年大会が6月4日から5日にかけて山形県・鶴岡市で開催される。私も、理事会と座長の役を果たすために出席する予定である。

 この学会には設立当初から参加している。設立のねらいにも記されているように、この学会は、人間と植物との関係を広く研究することを目的としている。
本学会は、人間と植物との関係というキ−ワ−ドのもとに、介護、福祉、医療、園芸、造園、社会教育、学校教育、都市計画、環境設計、生活科学、健康科学、植物と文化、建築学、地域開発などの人間に直接関係する分野における研究成果を収集、統合、分析し、生活の質の向上、教育・文化の発展、快適環境の創造に向けて、会員がお互いに協力し、かつ刺激しあいながら、新しい分野を創造・開拓し、発展させ、いっぽうでは、その成果を人間生活に活用することを目指す「るつぼ」として機能させることをねらいとしています。
 その1つとして「園芸療法」があることは言うまでもないが、人と植物との関係は園芸ばかりではない。山歩きを楽しんだり、道ばたの野草を観察したり、植物園で花の写真を撮るのも関わりの一つである。じっさい、2005年大会のプログラムを見ても。
  • 人が森を創る−森林は文化的創造物−
  • 屋敷林のフォークロア−人との関わりから見えてくるもの−
  • 園芸作業および北大構内のウォーキングが人の快感情に及ぼす影響と季節変動 芝生内雑草とそのCO2バイオマス
  • 道端の植物を見て歩くことから継起する対人的事象−J.Derrida《散種》に依拠しての人間環境学的考察−
  • 押し花教室における参加者の心理的体験
というように、園芸とは直接関係ないと推測される発表題目もかなりの数にのぼることが分かる。

 さて、人と植物との種々の関わりをみていったとき、最も主体的な関わりとしては、職業としての農業や林業があり、次いで、楽しみだけを目的に行うガーデニングや家庭菜園などの園芸活動を挙げることができる。単に花を眺めるだけという行動に比べると、「植物を育てる」を含む園芸活動はより能動的、主体的な関わりであるように見える。

 しかし、最近、「育てる」行為が含まれなくても、いろいろな能動的関わりの可能性が他にもあることに気づいた。例えば、散歩道での定点観察(同じ樹木の季節の変化を観察する)や発見(例えば芝生内雑草の中に新種を発見する)などは、デジカメで撮影したりメモをとることで、いくらでも能動的に関わることができる。もちろん、園芸活動にもそれなりの効用があり、私自身もいろんな植物を育てているところではあるが、人と植物との関わりを「園芸療法」の枠だけに閉じこめてしまっては勿体ない。自然観察とセットにした活動を充実させていくべきではないかと思いつつある。




 園芸療法や、「野生植物と能動的に関わる」という意味での「野生植物療法」のようなものの効用は、短時間の生理的変化だけで検証されるものではない。もちろん、「青葉アルコール」とか「青葉アルデヒド」に集中力を高めて疲労を軽減する効果のあることは学問的にも実証されており、短時間でも植物に関わることにはそれなりの意味があることは確かだ。しかし、本当の効果というのは、全人的なレベルで総合的に評価されなければならないし、また、複数年にわたるような長いスパンで検証されていかなければならない。

 そうは言っても、全人的なレベルでの効果というのは、従来の分析的、実験的手法では実証されることが原理的に難しい。いくつかの前提(公理のようなもの)を設けた上で、とにかく効率的なプログラムを組み立てて実践し、その教訓に基づいて改善を積み重ねるというやり方のほうが生産的であるとも言える。科学的なアプローチというのは、決して、実験や、平均値の有意差だけを狙った表面的な調査だけに限定されるものではない。実践活動主体であっても、評価と改善のプロセスさえしっかりしていれば、胸を張って科学性を主張することができる。