じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] [今日の写真] 洋梨の花が見頃となっている。写真左は、それを前景とした日出(4月16日5時49分撮影)。写真右は前日撮影の花。


4月15日(金)

【ちょっと思ったこと】

長かった一週間と季節の変化

 新年度の最初の授業が一巡した。一週間前が遙か昔であるように感じられる。

 もっとも、この一週間は、自然界でもめまぐるしい変化があった。先週やっと満開となったソメイヨシノは、もう殆ど散ってしまった。その一方、鬱金桜の花が咲き始めている。

 大学構内や周辺の花壇では、アイリス、ヤグルマギクが咲き始めた。

 15日の夕食後の散歩の時には、早くもクビキリギスや、種名は分からないが「スイッチョーン」というようなキリギリスの鳴き声を聞くことができた。

 上にも写真を掲載したとおり、朝食前の散歩時にはちょうど日の出が見られるようになった。春霞のせいもあって、大きな真っ赤な円盤が東北東の空から上るようになった。

【思ったこと】
_50415(土)[教育]明治の教育から学ぶ

 NHKスペシャルで5回シリーズ「明治」というのを放送している。そのうち4月10日に放送された、

第一集:ゆとりか、学力か

のDVD録画をやっと視ることができた。

 番組は、文部官僚として明治の初等教育の発展に尽くした澤柳政太郎の半生を通じて、
  • 明治初期の試験重視のエリート選別教育
  • 第三次小学校令による「ゆとり」教育とその後の「学力低下」
  • 明治の終わり頃の学力試験導入
  • 澤柳が退官後に設立した成城小学校の教育理念の紹介
といった形で、明治の初等教育の歴史がコンパクトにまとめられていたと思う。

 番組でも紹介されていたように、澤柳自身が開智学校で受けたような明治初期の初等教育には、成績至上主義、進級試験重視、人材発見・選別目的といった特色があった。澤柳が文部省に入省した明治21年頃は、尋常小学校児童は324万人、これに対して、帝国大学の在籍者は1833人に過ぎず、完全なピラミッド構造となっていた。試験内容は、子どもの考えを問うものではなく、もっぱら、教えられたことの暗唱であった。なかには、「出産の知らせに対して答える」というような模範解答の丸暗記以外には答えられない設問もあったという。

 明治初期といえば、身分制度にとらわれない優秀な人材を選別・登用していくことが国家建設にとって急務であった。地位や縁故採用が幅をきかせていた時代に低い身分出身者を高い地位に就かせることを納得させるためには、競争の勝者であるという客観的証拠を示す必要がどうしてもあった。そのために成績順に着席させたらい、進級試験重視という手段は大いに役に立ったものと思われる。

 しかし、その後、一定のエリートが揃うようになると、今度は、大衆の全体的なレベルアップが必要となってくる。しかし現実には、見かけの就学率は上がっても学校に来る生徒は少なく、澤柳が大臣に宛てて「教育ノ有効ノ度ヲ高メルコトヲ忘レタル...」と批判・進言したような改善が求められるようになっていた。明治33年、第三次小学校令の授業料廃止により、小学校の就学率は明治25年頃の50%、30年頃の70%弱から、80%、さらに明治42年には98%にまでアップした。また、授業時間削減、「読方、作文、習字」を「国語」に統合、小学校で教える漢字を1200字に制限、体育義務化など)、進級試験廃止など、その当時なりの「ゆとり教育」が導入されるようになった。教育の普及が進めば、一斉授業方式ではどうしても落ちこぼれが出てしまう。それを最小限に食い止めるためにはこうした「ゆとり」がどうしても必要となったのであろう。

 もっともこのことによって、進級試験に代わって、中学入試が競争の場となっていった。また当然のことながら学力低下が目立つようになった。その後明治41年には学力試験が実施され、平均点の低い学校に対しては改善指導がなされたようだ。

 澤柳自身は明治41年に文部省を退官、のちに成城小学校を設立し、自分の理想とする初等教育の場を実現した。なお、番組では全く言及されていなかったが、成城学園のページにもあるように、澤柳は明治43年12月に貴族院議員となり、44年3月には新設の東北帝国大学総長に就任、大正2年5月には京都帝国大学総長となった。しかし教授の任免権限と運用の在り方をめぐって総長と教授会が対立した「京大澤柳事件」により、3年4月退官した。私などにとっては、「澤柳」といえばこの「京大澤柳事件」のほうが真っ先に思い浮かぶ。澤柳事件は、教授会自治と学長のリーダーシップをめぐる問題として、国立大学法人時代の現在、ふたたび脚光を浴びている。




 番組を通じて思ったのは、学力重視、試験制度重視に対する批判がしばしば
  • 注入教授と試験制度とに重きを置いた結果、徒に記憶暗唱の弊に流れ、浅薄な模倣に陥り、..、実務に疎く...射利享楽を喜ばしむるに至った...(澤柳『大震火災に関し教育家並に一般国民に訴える』)
  • 画一的で個性無視(澤柳が文部省退官後に行ったアンケート調査で全国の教師から寄せられた回答)
  • 外面的装飾的。主知主義(同上)
  • 成績考査のしかたが、知識偏重。記憶された知識の分量を測定するよりも、児童の工夫や努力を認めるようにしたい(同上)
といった形で現れてくるということである。しかし、もう少し深くとらえていくなら、試験制度イコール注入教授ではないことに気づく。要するに評価制度がいいか悪いかという議論ではなく、弊害を最小限にくいとめつつ、まっとうな努力を正統に評価・サポートしていく仕組みはどうあるべきかという方向に議論を向けていくべきであったと思うのだが、たぶん当時の情勢ではまだそこまでは考えが及ばなかったのだろう。

 最後に、澤柳の取り組みでスゴイと思ったのは、彼が文部省の初等教育責任者であった時に行った改革も、また、文部省を退官したあとの貢献も、すべて、自分自身の現場体験や、綿密な現場の声の聞き取りに基づいていたということである。理論先行の机上の空論ではなく、実証的なデータ、それも質的なデータを十分に活かした上で方策を練り上げていったというところは、現代の教育改革推進者も大いに学ぶべきである。

 なお、この番組の第二回は、16日の夜に放送される予定。