じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 辛夷の花。どこで撮影したか分かりますか?


3月31日(木)

【思ったこと】
_50331(木)[教育]『東大合格者数』は高校評価の指標になるか

 このところ、FD関係のセミナー参加の備忘録代わりに大学評価の話題を連載の形で取りあげてきたが、高校の評価というのはどうなっているのだろうか。某セミナーの質疑の時に「高校というのは、ある意味では目標がはっきりしていて評価が簡単だ。一口で言えばそれは『東大と甲子園』。」という発言があったことをラジオのセンバツ高校野球放送を聴いていて思い出した。

 そこで言われた「東大」とは勉学面で具体的な成果を上げること、いっぽう「甲子園」というのはスポーツ面で具体的な成果を上げることを象徴的に表しているものと思われたが、現実には、進学校では高校別・東大合格者数で上位にランクされることが教育成果の1つの証拠として受け止められ、また、野球に限らず種々のスポーツの全国大会や文化サークルのコンクールで優勝するということが勉学面以外の成果の証拠として受け止められることは事実であろう。何の証拠も無しに「我が校は教育に力を入れています」と宣伝するだけでは信用されないのである。

 もっとも「東大合格者数」がその高校の教育の評価指標になりうるかどうかについては、東大合格者は勉学面で優秀であるという前提を受け入れたとしても少々疑問に思うところがある。




 まず、その高校の教育がストレートに合格に結びつくわけではないという点が挙げられる。受験生の多くは塾に通ったり通信添削を受けたりしている。極端なことを言えば、高校入学段階で、非常に成績優秀な中学生数十人を奨学金つきの特待生として入学させ、授業時間は最低限にとどめ、塾や通信添削で指導を受ける時間を増やしてやったほうが、結果的に東大合格者数が増やせるかもしれない。

 そのことに関連して思い出すのは、東京都立高校で学校群制度が導入された後の日比谷高校の凋落ぶりであった。もし、日比谷高校の中で行われる教育自体が東大合格者数に反映しているのであれば、学校群制度が導入されても影響を受けないはずである。そうならなかったということは、高校入学時に優秀な生徒が入ってくるかどうかということのほうが遙かに大きなファクターになっていることを示唆している。

 ちなみに、私が卒業した某附属高校は、都立高校で学校群制度が導入されたあたりから(正確には、学校群導入後の学年が卒業した頃から)東大合格者が著しく増加した。しかし、少なくとも私が在学していた頃は、授業として特別の受験指導が行われたことはなかった。教え方が何も変わらないのに学校群導入後に変化があったというのは、やはり、日比谷志向の中学生が私の高校のほうに入学してきたと考えるべきであろう。




 次に考慮しなければならないのは、浪人(既卒者)の東大合格数である。高校別の東大合格者数のランキングでは、一般に、現役と浪人の合計数に関心が集まる。しかし、浪人合格者というのは、高校3年間の教育では東大に入れなかった人が、その後、予備校に通ったり自宅で通信添削を受けたりした結果として翌年度に念願が叶えられた人たちの数である。その高校の教育成果であるとは断じて言えないと思う。そういう角度から見れば、こちらの表のランキングもずいぶん変動するのではないかと思う。




 その他、これは統計データ一般で言えることだが、その高校の在籍者数も考慮に入れる必要がある。1学年100人しか在籍していなければ、合格者数は最大でも100人。そういうこともあって、最近では、在籍者数を分母とした進学率で「高校力」を比較した調査も行われているようだ。




 さて、以上述べたことをもう一度、大学評価に戻して考えてみると、国家試験合格者数や英検・TOEICの成績優秀者などの外部指標は、必ずしも教育成果の指標とならないことに気づく。英検・TOEICの優秀者を増やそうと思えば、入試段階で英語の配点を増やしておくのがいちばん手っ取り早い。もっとも、その大学自体に魅力がなければ優秀者は集まって来ないだろうが。

 さらに言えば、優秀な研究者を多数輩出しているということは、その大学で充実した教育が行われていることの証拠には必ずしもならない。もともとその大学に著名な研究者がいれば、それを慕って優秀な学生が集まってくる。そんなに徹底した教育をやらなくても、勝手に「育つ」というわけだ。

 すべての大学において授業改善に取り組む必要があることは確かだが、中でも特に求められているのは、中程度あるいは「中の上」レベルの大学であろうと思う。放っておいても優秀な学生が集まってくる大学では、自学自習の勉学環境さえ整えておけば、あとはそれほど手を加える必要はない。いっぽう、学生が集まりにくい大学では、いくら熱心に授業改善に取り組んでも教育成果が上がりにくい。いかに特色を出し、それをアピールするかにかかっているように思う。