じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 大阪・高津宮で見かけたサンシュユの花。2001年3月28日の日記に、京都府立植物園で撮影した写真あり。


3月12日(土)

【ちょっと思ったこと】

国家資格としての医療心理師

 昨日の日記で、「日本医療心理士学会」なるサイトの信憑性について取り上げたが、従来よりこの問題に地道に取り組んでいる団体のサイトがこちらにあるので、御紹介させていただきたい。その中の「Q & A」のところに、
  • Q1:なぜ国家資格が必要なのですか?
  • Q2:医療心理師の受験資格がどうして大学院卒ではなく学部卒なのですか?
  • Q4:「医療心理師」は「医療心理士」とは違うのですか。
  • Q9:日本臨床心理士会や日本心理臨床学会が言っているように「臨床心理士」が国家資格になれば良いと思いますが、国家資格にはならないのですか。
といった「FAQ」に対する回答が載せられている。私自身も基本的に「全心協(ぜんしんきょう)」に近い考えを持っている。それにしても3月13日朝の時点でTop画面へのアクセス数が2278というのはちょっと少なすぎる。

]心理学資格問題についての私の考えはこちらの連載をご参照いただきたい。
【思ったこと】
_50312(土)[心理]時を心に刻むことと今を生きること

 3月10日に大阪でダイバージョナルセラピーの研修会があり、私も講師として参加した。私の講義内容は、
  • 高齢者の生きがいの前提と特色について原則に立ち返って考える
  • 「やる気」が起こらないのは、能動的な働きかけに適切に結果が伴わないことにある点を理解する
  • 自立は最終目的ではなく、「能動」の実現の場であることを理解する
といった点が中心であったが、2月27日の日記にも書いたように、今回は、過去の体験との関連づけの部分により多くの時間を宛てることとした。

 その一環として、3月4日に放送されたNHKにんげんドキュメントふたりの時を心に刻むで、越智俊二さん(58)が国際アルツハイマー病協会京都会議で自らの病気について語られた一節を紹介させていただいた。なお文中の「母さん」とは越智さんの奥様のこと。
このごろはいろいろなことを忘れていきます。
思い出はいっぱいできたはずなのに消えていきます。
記憶にとどめておくことができないのです。
【途中略】
大切なのは、今日一日一日一日、その時、その時、母さんと一緒に、前に前に、の気持ちで母さんと笑っていきたいです。
 営業課長として忙しい日々を送っていた越智さんは47歳の頃から物忘れの症状が出始め、現場への道順が思い出せなくなったり、受け取った注文を忘れるなど支障を来すようになり、52歳で退職。その後54歳の時にアルツハイマー病と診断され、現在は、奥さんと二人暮らしをされている。日常動作上の困難は無いが、家の中のどこを掃除したのかが覚えられないとか、一人で外出すると家に戻れなくなるなど、短期的な記銘がきわめて困難になっている。

 番組では、奥さんと二人で、木曽御嶽や上高地を旅行する場面や、越智さんが子どもの頃に通っていた飯塚市の柔道場(現在は閉鎖されているが建物は残っていた)を訪れる場面が紹介された。信州旅行のほうはすぐに忘れ去られてしまったが、柔道場の様子や近くのボタ山のことはわずかながらその時の記憶が残っていたという。

 我々の生きがいは、「過去の思い出の蓄積」と「いま現在の日々の充実」と「将来の夢、もしくは希望」という3つをセットに成り立っている。子どもの頃は、過去の思い出は少ないが、将来にはでっかい夢がある。成人になると、ある程度の思い出ができあがる一方、今を充実させるための多様なライフスタイルを身につけることができるようになる。そして高齢期になると、今できることはしだいに制約され将来の夢もしぼんでいくが、過去の思い出だけはかけがえのない資産となっていく。アルツハイマーの場合は、その資産そのものが急速に失われていくわけだが、そうはいっても、心のどこかにその断片が残り、ある日突然つなぎ合わされることさえある。デイケア(デイ・セラピー)においても、過去の楽しい思い出にリンクすることは、ただ単に記憶・記銘力衰退をふせぐための訓練という位置づけではなく、それ自体がかけがえのない価値であるという理解のもとにメニューづくりに取り組んでいただきたいと思う。