じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] FDセミナー会場(1日目、同志社大)からは、京都御苑の中を通って宿舎に戻った。途中、御苑の一角では梅の花が綺麗に咲いていた。


3月7日(月)

【ちょっと思ったこと】

ブンガクに異変あるか?

 夕食時にNHKクローズアップ現代「ブンガクに異変アリ!?〜台頭する若手作家たち〜」という番組を視た。番組記録サイト(→3/8朝の時点では、放送予定のページに紹介されているが、まもなく放送記録のほうに正式に追加される見込み)にもあるように、「若者の活字離れ」、「出版不況」などと言われている中で、ここにきて十代・二十代の若手作家によってブンガクが活況を呈しているという。

 番組タイトルで「文学」をわざわざ「ブンガク」というようにカタカナで表記したのは、単に若手作家が活躍するようになったというばかりでなく、これまでの文学とは執筆スタイルや表現方法が大きく異なった新しいジャンルが確立されるかもしれないということを強調する意図があったものと推察される。

 では何が異質なのか。携帯メイルの発信文のような短い文体、劇画に似た擬音語、歌詞に似た繰り返し表現などにその特徴があるということであったが、実は私自身はそのような作品を1冊も読んだことが無く、それが一般的な傾向なのか、それとも、目立つ特徴だけを抜き出して誇大に紹介しているのかは、判断できる立場にない。

 しかしいずれにせよ、携帯メイルによる日常的なやりとり、インターネットにおけるブラウジング、さらにブログやWeb日記参加者の急増という中で、以前とは比べものにならないほど、文字を主体としたコミュニケーションが盛んに行われるようになったことは事実であろう。しかも、そこでは、「読み手」と同じ数だけ「書き手」が存在する。そのことが学生の読解力、表現力、論理的思考や批判的思考などのスキルアップにそっくりつながるとは到底思えないが、とにかく「読む」そして「書く」という行動だけに限っては、若者はそれほど困難を感じなくなっているのだろう。

 もっとも、単に、双方向の文字コミュニケーションが活発になったというだけでは、本の売れ行きを説明したことにはならない。むしろ、電車内や待合い時間に携帯メイルを打ち込む人が増えれば、同じ時間に本を読む人は減るはず。本当に本が売れているとするなら、その魅力はやはり内容に求められるはずだ。それとも、本質的にはあまり意味の無い歌詞を口ずさむのと同様、ストーリーではなく、言葉の列そのもののリズムやイメージをムード的に楽しむ読者が増えているということなのだろうか。

【思ったこと】
_50307(月)[教育]大学コンソーシアム京都 「評価される大学教育」(3)大学ランキングは必要か?(1)

 3月5日・6日に行われた

●大学コンソーシアム京都 第10回FDフォーラム 「評価される大学教育」

の感想の3回目。今回は、基調講演に引き続いて行われた

●『誰のための評価?』

について感想を述べることにしたい。公式サイトにもある通り、このシンポの登壇者は
  • コーディネーター:京都大学高等教育研究開発推進センター教授 松下佳代氏
  • パネリスト
    • 朝日「大学ランキング」編集長・朝日新聞論説委員 清水建宇氏
    • 同志社大学教育開発センター副所長・文学部教授  山田礼子氏
    • 大阪市立大学・大学教育研究センター副所長・助教授 木野茂氏

であった。

 シンポではまず、コーディネーターの松下氏から、「誰が何の(誰の)ために何を(誰を)どうやって評価するのか」という問題提起がなされた。

 大学評価では、PDCA(Plan→Do→Check→Action)というサイクルの一環として、複数の視点・利害を考慮した多元的な評価が求められる。アカウンタビリティという観点からも、そのことは外部にも公開し情報交換の中で高め合っていくべき性質のものであるが、改善点ばかりをさらけ出すとその大学の評価が不当に下げられる場合もあり、どうしても成功事例の紹介ばかりになってしまう風潮もあるようだ。

 シンポではまず、朝日新聞論説委員で『大学ランキング』編集長の清水氏から、なぜランキング(=相対評価)という手法が必要なのかについて説明があった。

 私が理解した範囲で言えば、相対評価が必要な一番の理由は、「選択」という行為にとってそれが必要不可欠な情報になっているという点にある。各大学が行っている自己点検評価、あるいは、他大学の教員らも交えたピアレビューでは定性評価や絶対評価が殆どであるが、それらは当事者や専門家にとっては有用な情報であっても、どの大学を選ぶかという時の選択の手がかりにはなりにくい。その一方、大学の当事者は利害関係者であるゆえ、自らの手で相対評価を行うことが難しい、そこで、ジャーナリズムによるランキングが行われるようになった、というように理解した。

 このランキングに対しては、スポーツジャーナリズムと同様であるという批判がある。また、実際問題として、研究評価に関しては客観的数値(例えば論文の被引用度、国際学術誌の掲載数、研究資金獲得額など)による比較が容易であるが、教育評価のランキングとなると、どうしても、教育のインフラ程度の比較しかできないという問題点がある。このあたりの限界については清水氏みずからが言及しておられた。

 では、どうすればそれをおぎなえるのか、他に使えそうな指標は無いのか、また学生の満足度は信頼できる指標となるかなど、いくつか検討すべき点がある。次回に続く。