謹賀新年

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 昨日の日記でレオノチスの花が年越ししたことを御紹介したが、大学構内ではもう一つ、バラも季節外れの花を咲かせていた。この寒い時期になぜ花を咲かせたのか、謎である。


1月5日(水)

【思ったこと】
_50105(水)[旅行]冬のチベット(2)片道と往復の見え方の違い

 どのような旅行も厳密には自宅から出発して自宅に戻るという往復コースを取るものではあるが、見どころだけに限って言えば、ある目的地に向けて片道のコースをひたすら突き進む旅行と、目的地までを往復する旅行の2つのタイプがある。

 私自身が参加した旅行の中では、例えば、パキスタン・イスラマバードからカラコルム・ハイウェイを通って中国・カシュガルを目ざす旅行、あるいは、成都から黄河源流域を経て西寧に向かう旅行などが「片道」タイプに相当している。このほか、四国八十八箇所の遍路や、観光目的の各種周遊コースなども、途中の場所に戻らないという点で「片道」タイプに含まれると思う。

 これに対して今回の旅行は、ラサを起点として川蔵公路途中のセチ・ラ(峠)付近まで、あるいはラサ北部を青蔵公路沿いに北上してニェンチンタングラ(念青唐古拉)山まで、というように同じ道を往復するタイプの旅行であった。




 「片道」タイプの旅行は、途中の景色が常に新鮮であることに加えて、目的地に到達した時に「走破した」という達成感が味わえるという点で、「往復」タイプより感動が大きいように思われる。

 しかし、今回の旅行を通じて、「往復」タイプにはそれなりの楽しみ方があり、また「往復」することで初めて見えてくるものがあるということを強く実感できた。




 実は、片道コースというのは、道路沿いの景色のごく一部しか眺められずに進んでいくものなのだ。例えば運転席(←自分で運転する場合)や助手席から景色を眺めたとする。この場合、進行方向側の景色は十分に楽しめるが、振り返りながら後ろの景色まで目を向けることはまずない。従って、例えば車が東方向に進んでいる場合、山の西斜面はよく見えるが、東斜面がどんな様子かということは殆ど知らないままに通り過ぎてしまう。

 バスや列車や飛行機で移動する時は左右どちらからの側の座席に座ることになるが、この場合に見えるのは、左右どちらか半分の景色のみである。例えば、羽田から岡山まで飛行機に乗ったとすると、左側に見える富士山火口と、右側に見える南アルプス・北岳や御嶽の景色を同時に楽しむことはできない。要するに、「片道」タイプというのは、半分以下の景色しか眺められずに進む旅行なのである。

 今回の旅行は「往復」コースであったため、いくつかの峠の景色を上りと下りの両方向から眺めることができた。特に、標高約4930mのミ・ラ(峠)では、往路の西方向から登る時の景色と、復路に東方向から登る時の景色の両方とも見応えがあった。もし「片道」コースで通過していたとしたらその半分しか眺めることができなかっただろう。




 「片道コースで見える景色は半分以下だ」ということから何か教訓は引き出せないものかと考えてみたが、我々の人生はしょせん「片道」であって、いくら望んでも「往復」を選ぶわけにはいかない。それゆえ、いま見えている景色はもしかしたら左右どちらか半分の景色にすぎないかもしれないこと、また、時おり後ろに振り返ると全く新しい景色が見えているかもしれないということに注意を払うべし、ということぐらいしか言えそうもない。自分の人生を多角的にとらえるべし、また時々、過去を振り返ることを忘れるなという、ありきたりだがとても重要な教訓である。