じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  台風23号の倒木被害の様子をこちらに公開しているが、通行に邪魔になる倒木はすでに撤去されている。通行に邪魔にならない倒木は予算の関係もあって当面放置されると聞いたが、このまま枯れるのも可哀相なので、とりあえず、実験室前のゴールドクレストにロープをかけ、ブロックで引っ張って少しずつ立ち直らせるようにした。

 写真左半分は倒れる前の様子。


10月24日(日)

【ちょっと思ったこと】

バス屋根の近くで木につかまっていた人

 台風23号で観光バスが水没し37人が屋根の上で一夜を明かした後に全員救助されたニュースは、多くの人々に感動と生きる力を与えてくれた。この救出の写真は朝日新聞一面にも大きく掲載されていたが(10月25日時点ではCNNの記事からも閲覧できる)、1つだけ謎であったのは、屋根の近くの立ち木に2人の男性がつかまっていたことだった。なぜ屋根の上ではなく木につかまっていたのか、別の車から流れ着いた人たちなのか、どこにも説明が無く不思議に思っていたが、10月25日の朝日新聞記事でやっとその謎が解けた。

 それによれば、立ち木につかまっていた男性2人はバスの乗客であり、濁流で流され始めたバスをロープでつなぐために自ら濁流に飛び込んだ人たちであることが分かった。

 記事によれば、水没してまもなく濁流でバスが押し流され始めた時、乗客の一人の稲葉武士さん(68)は後方のトラックにロープが積まれているのを知り、トラックとバスを結びつけるため、濁流の中、ロープを取りに行くために濁流に飛び込んだ。しかし、実際には、流れが速すぎて、途中の街路樹にたどり着くのがやっとであった。ロープは取れなかったが、稲葉さんは奇跡的に流れ着いた竹棒でバスと立ち木をつなぎ止めた。稲葉さんの握力がなくなってきた時、今度は小畠唯美さん(67)が竹伝いに立ち木まで渡り、竹棒を靴ひもで木に結びつけ、2人は仲間を励ましながら、夜明けまで竹棒を離さなかったそうだ。

 トラックとバスをロープで結ぶことはできなかったが、水位が下がったためだろうか、バスが流されることはなかった。大型のバスを立ち木に靴ひもで結びつけるというのも、物理的な力としては殆ど無力であったに違いない。しかし、稲葉さんたちの勇気ある行動によって、バス屋根に取り残された人々が大いに元気づけられたことは確かであろう。そういう意味では、記事の見出しにもあるように、まさに「命と希望をつないだ竹」であった。

【思ったこと】
_41024(日)[旅行]アンデス最深部(4)ボリバル将軍とアメリゴ・ベスプッチ

 土日の休みを利用して、8月のアンデス旅行のアルバムのうち、最終日のスクレ市内と、機上からの眺めの写真をアップロードした。アルバムとしては、「アタカマ富岳百景」と「ツアーの様子」がまだ残っているが、これらは、すでに掲載した写真のうち関連のあるものを1つのページから閲覧できるようにするだけであって、新たな写真掲載は予定していない。ということで、今回のアンデス旅行のアルバムサイトは、旅行から2カ月後でほぼ完成となった。

 ところで、最後に掲載したスクレは、ボリビアの憲法上の首都である。しかしこのことはあまり知られておらず、私自身も、昨年夏にボリビア・アンデスに登る時まで、ボリビアの首都はラパスであるとずっと思っていた。

 スクレ市内のページにも書いたが、ボリビアという国名は、シモン・ボリバル(Simon Bolivar. 1783年7月24日 - 1830年12月17日。南アメリカの民族主義者、将軍)の名にちなんでつけられている。「ボリバル」が「ボリビア」に修正されたのは、Manuel Martin Cruzの提言によるという。「コロンブス」にちなんんで「コロンビア」という国名がつけられたのと同じ命名規則によるらしい。

 このボリバル将軍のことを検索して初めて知ったのだが、ベネズエラの正式国名はベネズエラ・ボリバル共和国(Bolivarian Republic of Venezuela)であり、通貨単位は「ボリバル」となっている。外務省基礎データによれば、ベネズエラは1811年にスペインより独立、1819年に大コロンビア共和国成立、さらに1830年に同国から分離して「ベネズエラ共和国」、1999年12月新憲法発効により、今の国名となったようだ。ボリバル将軍はもともとカラカスの貴族の家庭に生まれており、ナポレオンに仕えたこともあったという。ボリバル自身は、南米の北西部一帯に強大な統一国家を作ることを目ざしていたらしい。

 余談だが、南北アメリカ大陸には、探検家や英雄にちなんだ地名が数多く見られるが、その中でも一番スケールの大きいのは何と言っても「アメリカ大陸」、「アメリカ合衆国」の名で知られるイタリア人のアメリゴ・ベスプッチ(Amerigo Vespucci)であろう。コロンブスがインドだと思いこんで「西インド諸島」に白人として初めて到達したのに対して、アメリゴ・ベスプッチは、それが新大陸であることをヨーロッパに広く知らせたところに功績があると言われる。しかし、彼らの勇気と努力は称えるとしても、しょせんそれらの「発見」は白人本位であるにすぎない。といって、今さら、「アメリカ合衆国」は「ワシントン合衆国」に改名すべきだという話もきかない。