じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] カボチャとコスモス。妻の作品。ハロウィーンはまだ1カ月近く先のはずなんだが。


10月4日(月)

【ちょっと思ったこと】

じぶんにとっての一本のヒット

 イチロー選手の年間最多安打記録更新(262本)を機会に、自分自身にとって一本のヒットとは何かを考えることにしたい。

 大学教員を打者に例えた場合のヒットとは、研究・教育活動が中心ということになろうかと思う。

 このうち、教育活動のほうは、まさにコツコツと安打を積み重ねることだろう。あくまで例えということになるが、すべての打席でヒットを打てないのと同様、授業も時には失敗する。いくら熱心に授業をやっても、受講生の多くがシラバスに明記されているような到達目標に至らない場合は、やはり失敗と呼ぶべきだろう。また、授業評価アンケートで低い評価しか得られなければ、改善が必要である。このほか、大学の授業である以上、授業の中で達成すべきことのほか、今後の主体的・能動的な勉学を促進するための方向づけも必要であると思うが、これはなかなか難しい。

 いっぽう、研究活動のほうは、「コツコツと安打」というニュアンスとはちょっと違って、たまには、一発逆転満塁ホームランとか、場外ホームランのようなものが求められるところがある。私も、かつては、かなりの時間を割いて実験研究に取り組んだことがあり、味の好みを増やす研究とか、選択行動の可変性(←柔軟性みたいなもの)を高める方法の開発などで論文を出したことがあるが、最近はもっぱら、「日常生活に活かす」ということに重点を移している。そういえば、ちょうど昨年の今頃(昨年10月8日の日記参照)、「ハセガワは何を研究しているのか?」について書いたことがあった。その最後のところに
 個別テーマの第一に挙げた「能動主義」の生きがい論は、できるだけ早く、本にまとめようと思っているところだが、これは理屈だけではだめだ。自らも実践してこそ主張できるものだと思う。テレビ番組で健康法を唱える学者は、自分自身でもそれを実践し、健康であることを示す責務がある。創造性訓練を唱える学者は、自らも創造性が鍛えられたことを示す責務がある。それと同じ意味で、能動主義が生きがいになると唱えるためには、自分自身も能動的であらねばならないと考えている。
と書いたが、前期は、ほぼ毎日複数コマの授業に追われて、必ずしも能動的とは言えなかった。後期は、もう少し、主体的な取り組みができるようになると思う。

 余談だが、阪神の八木裕内野手(39)が4日、兵庫県西宮市内の球団事務所で記者会見し、今季限りでの引退を発表した。記者会見の中で、八木氏は、「今季は徐々に、自分でも納得できる打席が少なくなってきて、最終的に結論を出した。」と語ったというが、ま、私の場合なども、納得できる授業ができず、納得できる論文も書けなくなった時には、定年にこだわらずさっさと引退するつもりだ。




巨人戦「史上最少」観客

 アサヒコムのネット記事によると、10月4日に横浜スタジアムで行われた横浜―巨人戦は、主催者発表では観衆1万人(5回終了時)であるものの、記者が試合開始前に客席を数えたところではなんと約150人、内野指定席には誰もいなかったという。その後、球場通路で雨宿りしていた人たちが出てきたのか、プレーボール時には2倍くらいになったというが、それでも300人か。優勝決定後の消化試合であっても、人気選手をナマで見たいとか、個人記録に関心が集まれば球場に足を運ぶ人も増えるのではないかと思われるが、これでは大赤字だろう。但し、この日の試合の場合は、
  • 前日の振り替え試合が雨で流れ、急きょ組まれた追加日程
  • 朝から雨が降り続いていたという
という特殊要因もあるかもしれない。

 もっとも、同じアサヒコムの関連記事には「巨人戦視聴率、年間平均で過去最低」という見出しもあった。合併問題で大揺れのパリーグと異なり、セリーグは巨人の人気で安泰と思われてきたところがあるが、これではそうもいくまい。

 そう言えば、大相撲でもずいぶんと空席が目立つ。デジタルハイビジョンの普及で、「遠くからナマで観る」よりも「液晶テレビで近くから観る」のを好む人が増えてきたと考えるべきか(←但し、これは観客数減少についての考えられる原因。視聴率低下は説明できない)。